余禄・山陽道中鉄栗毛
3泊4日滞在した萩を去る2月8日の朝は、未明から風の音が窓越しに聞えるほどに随分北風が強まっていたけれど、お天気はおおむね良好。 萩バスセンターを出た防長高速バスは、やがて山道をゆく。 山間のところどころが田園地帯として開けていて、随所に石州瓦の集落がある。
都会で働く多くの中高年以上の方々が、 「きっとどこかにまだ残っているに違いない…」 と心のどこかで淡く信じているであろう日本の風景が、ここにはしっかり残っていた。
付近に鉄道が走っているわけじゃなし、絵堂インターチェンジで高速道路に接続するまで、幹線道路といえばこの国道が1本あるだけ。 冬場に水納島に日帰りでお越しになるお客さんの中には、我々がこの島に「住んでいる」ということにたいそう驚かれる人が多い。 この小さな島で完結している生活、というのが想像を絶するのだろう。 でもご存知のとおり実際は小さな島で完結しているわけじゃなく、連絡船に乗れば15分で本島に、そこに車を置いているから、極端にいえば那覇だって日帰りで行ける生活圏だ。 それに比べれば、よほどこの山間の集落での暮らしのほうが、想像を絶する。 ちょっとした日々の買い物など、どうされているんだろう…。 それはともかく、各家はどれも立派で、石州瓦が輝いている。 そしてやはり、屋根にはしゃちほこが。 やがて高速バスは絵堂インターチェンジから高速道に入る。 絵堂といえば、山県狂介率いる奇兵隊ほか諸隊が、高杉晋作の下関襲撃成功に呼応して、俗論党が牛耳っている藩政府軍と戦った場所で、現在も残る当時の建造物にはその際の弾痕が残っているそうだ。 山間の盆地ながらけっこう広く、それゆえに四方八方から道が来ているため、当時から交通の要所だったらしい。 有名な秋吉台はここからすぐのところにあったのか…なんて今さらながら知りつつ、バスは新山口駅に到着。
新幹線も発着している駅だから、ここから目的地大阪へ行くならフツーは新幹線に乗るところ。 しかし時短よりも乗りたい路線優先のオタマサのこと、新山口駅からもやはり各駅停車なのだった。
ただし山陰本線と違い、山陽本線は車両が多く、人も多い。 まぁそうはいっても少しずつ客が降りれば、やがて空くだろう…… …と思いきや。 山陽本線って、都会が多いんですね……。 岩国駅行きのこの電車、途中途中に防府だ徳山だ柳井だといった街があるものだから、降りるヒトがいれば乗るヒトもいるため、6両くらいあるのにけっこう乗車率高め。 ウーム……山陰じゃ考えられない。 山陽本線のこのあたりは海辺が続き、街は多くとも都会と都会の間には漁村もあって、これまた石州瓦が赤い。
ここらあたりでもしゃちほこがある家がチラホラあった。 このしゃちほこ、結局広島あたりでも観られた(と記憶している)のだけど、いったいどういう文化なのだろう? 気になったので帰宅後調べてみたところ、実はこれ、火除け祈願なのだそうだ。 シャチでもシャチホコでも漢字変換すると「鯱」になる生き物は、そもそもリアルアニマルのシャチとは関係なくて、麒麟と同じく中国の想像上の生き物で、そのルーツはインドの神話に出てくる「マカラ」という巨大魚なのだとか。 このマカラ、巨大魚といっても上半身はカモシカ、下半身は魚という、人魚ならぬ羚羊魚とでもいうべき奇怪なフォルムなんだけど、それが中国に伝わり、さらに日本へと伝わると、その姿から「水を噴き出す」という特殊機能まで加わって、火消し、火除けの守り神的キャラクターとなったという。 ウソかマコトか、信長が安土城を建てた際に、火事除けご利益ということで天守閣にシャチホコを飾ったのが日本における初しゃちほこなのだそうだ。 それを皮切りに、その後天守閣=しゃちほこというお馴染みの姿が定番になったらしい。 庶民の家にしゃちほこという文化がいつ頃始まったのかは知らないけれど、これは火災除け祈願だということは、すなわち火災多発地帯で流行し始めたということなのかもしれない。 まさかしゃちほこに防火効能があるとは知らなかったなぁ…。 さてさて、徳山を過ぎたあたりで車内も落ち着いてきたので、待望の駅弁タイム♪ 新山口駅ではあまり時間が無かったので、ワタシが荷物番をしている間にオタマサが見繕ってくれたのがこちら。
広島名物「夫婦あなごめし」。 厳島神社に行こうとしていた頃には早くも胃袋アナゴ待ち態勢だっただけに、ここで会ったが百年目。 でまたこれが駅弁であることを忘れてしまうくらい本格派で、しかも副菜に穴子の骨せんべいまでついているという芸の細かさ。 穴子星人も大満足の一品だ。 一方オタマサは……
かしわめし。 蓋を開けてみると……
なにげにビジュアル系。 これらの肴を……
萩の地酒、純米酒 長陽福娘で流し込む。 昨夜のぼてこで飲み切れなかった3本目を、テイクアウトしていたのだった。 このところの旅行では欠かせないアイテムとなっている保冷バッグがあるとはいっても、冷やすものが無ければ… しかし近頃はちょいとコンビニに行けば、プラスチックカップに入った氷が売られている。 保冷バッグにそのカップを入れておけば保冷材代わりになるし、ある程度融けたら氷水として飲めるスグレモノだ。 おかげで福娘もほどよく冷え冷え。 いいコンコロモチになりつつ眺める車窓はずっと海辺で、瀬戸内は島が多いことがよくわかる。 やがてたいそう大きな島に架かる橋が見えてきた
対岸の島はおそらく周防大島こと屋代島。 第二次長州征伐の際、長州をやっつけるためにはるばる江戸からやってきた幕府海軍が、高杉晋作のオテントサマ丸こと丙寅丸単艦夜襲によってコテンパンにやっつけられた舞台だ。 下関だ周防大島だといわれても、読んでいるだけだとなかなか距離感がつかめない。 でも地図を見てみるだけで、関門海峡からこのあたりを自由自在に行き来していたとなると、けっこう機動性には優れていたのかも。 まったく知らなかったことに、オテントサマ丸改め丙寅丸は明治維新ののち戊辰戦争も終わってから、ヲテント丸と再び名を変え、博多と大阪を結ぶ瀬戸内の定期貨客船として活躍したそうな。 新山口から2時間弱、ようやく岩国に到着。 ここからまた各駅停車に乗り換える。 乗り換えてほどなく、窓外に見えてきたのは…… あ! 厳島神社!! …の修復中の大鳥居。 しまった、シャッターチャンスを逃してしまった……。 乗り換えた電車は糸崎行きなのだけど、三原で乗り換えたほうが無駄が無いというオタマサ指令のもと、三原駅で乗り換え。 しかし三原は新幹線停車駅で、すでに停車中の電車に乗り換える頃にはかなりの乗客が。 あわや立ちっぱなしになりかけたところ、補助席があったのでセーフ。 やはり山陽本線は都会だ。 先に食べておいてよかった…。 三原を出た電車は、尾道にさしかかった。 尾道といえば、大林宣彦監督の尾道三部作。 しかし我々にとって尾道といえば……
連絡船水納丸こと「ニューウィングみんな」の生まれ故郷でもある。
ジャストここ、ってわけじゃないけど、瀬戸内クラフトはおそらくこのあたりだろう…というところが車窓から見えた。 現在の船が就航する前には、船員さんたちは代わりばんこに現地を訪れ、就航前にいろいろチェックした。 船長カネモトさんや機関長キヨシさんがこのあたりに滞在中、「さびしんぼう」と会った…… …かどうかは知らない。 三原から1時間30分ほどで、岡山駅に到着。 ここからさらに各駅停車で頑張っていたら日が暮れても大阪には着かないから、そろそろここらが限界。 というわけで、新大阪行きの新幹線に。
生まれて初めて「さくら号」に乗る我々である。
昨年今年と2年続けて山陰本線を利用した我々からすると、山陽本線はとんでもなく都会の鉄道だった。 各駅停車に乗って飲み鉄♪ なんてことがなかなか許されないくらいに。 やはり飲み鉄重視で行くなら、テッテー的に田舎の、少なくとも単線の路線を選ばねばならないのかもしれない。 でもそういう路線って、この先次々に姿を消していくであろうことを考えると……。 楽しい飲み鉄のために残された時間は、あとわずかなのかもしれない。
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