7・1月30日

ナイロビ

 到着したときはまだ夜明け前だったドバイは、ナイロビ行きEK723便に乗り込む頃にはすでにすっかり朝になっていた。
 太陽がまぶしい。

 ナイロビ行きのエアバス機にも、やはりシャトルバスでタラップ下まで行き、そこから乗り込む。

 「ひょっとしてさっきと同じ飛行機だったりして…」

 そんなはずはなかった。
 でもそうなると、機内に預けた荷物がちゃんと移し変えられているか心配になる。
 飛行機は、ドバイ便に比べると一世代前の型のようだった。ま、12時間に耐えたのだ。今さら5時間の飛行なんて、なんてことはない…………たぶん。

 日本からの飛行機じゃなくなると同時に、機内からは日本語のアナウンスも日本人のスッチーさんも消えた。
 機長がなにやら英語で話している。

 「えー、この飛行機は本当は8時10分に出発するはずでしたがぁー、なにやら荷物の積み込みに遅れが生じているってことで、出発が遅れまーす。どれくらい遅れるかっていうと……わかりませーん。」

 …というようなことを言っていた。
 たとえどれほど遅れようと、荷物がちゃんと載るのならそれにこしたことはない。

 結局、1時間遅れくらいでドバイを離陸した。
 上空から眺めるドバイは、いやはや、聞きしに勝る大都会!!
 着陸するときは電灯しか見えなかった空間に、建ってるわ建ってるわ、あたり一面ビルビルビル。

 海辺にエキゾチックな人工アイランドを造ってリゾート地として開発するというし、ドバイはお金をふんだんに使える人にとってはこのうえないスーパーリゾート地であるようだ。

 飛行機は一路ナイロビを目指す。
 眼下の景色が、いかにもアフリカ!!って感じになってきた。

 ナイロビでは、僕たちが旅行を申し込んだ旅行社・ファイブスタークラブが提携している現地の旅行社のスタッフが迎えに来てくれることになっていた。空港からお決まりの観光スポットをチョロッとめぐり、ホテルのチェックインまで案内してくれるという。
 至れり尽くせりなのである。
 が。
 はたして本当にスタッフは迎えてくれるのだろうか?

 その昔、うれしはずかしモルディブへの新婚旅行の帰り、スリランカで乗り継ぎをする際に時間が随分あったので、旅行社が用意していたスケジュールでは、近くのホテルでシャワーなどを浴びつつ休憩、ということになっていた。
 ところが、その肝心のスタッフがまったく現れなかったのである。
 うーん、困った。
 本来いるはずのスタッフがいないってことを、さまよえる子羊のような目をしつつ空港職員に告げたところ、しょうがない、それだったら車を雇って観光でもしなさい、と言われた。
 結果的に、そのときチャーターしたタクシーだかなんだかの運ちゃんのおかげで、とっても楽しく心温まるスリランカでのひとときを過ごせたのでよかったことはよかったものの、今回は……?

 いや、まだ我々はそんな先のことを心配している場合ではなかった。
 ここはナイロビのジョモ・ケニヤッタ空港。空港職員が旅慣れない旅行者(特に日本人)から小遣いを稼ごうと、てぐすね引いて待っているというウワサで持ちきりの空港だ。いざというときは乏しい英語を駆使して戦わなければならない。

 慌てなくてすむよう、飛行機の中で書いておこうと思っていたケニアへの入国カード、どうやら眠っている間に機内で配られていたらしく、もうすぐ到着というころに慌ててスッチーさんにもらいに行き、降下中の機内で慌しく書く。
 こんなもの、ここで慌てて書くくらいなら、イミグレーションのところでゆっくり書けばいいってもんなんだけど……。

 何事もなく無事に着陸し、ついに我々はケニアに到着した。
 その昔サブちゃんは、たかだか函館に到着しただけで「はるばる来たぜ!」と歌ったものだったが、ここはアフリカだ!!那覇から30時間以上もかけてやってきたのだ!!
 まさに、

 はるばる来たぜ、アフリカ〜!!

 乗客の流れに従い、ゾロゾロ歩いているとイミグレーションに到着した。さあ、ここからが勝負の始まりだ!かかってこい、空港職員!!

 闘志をクールな顔で包み隠し、パスポート等を提出すると………

 へ?

 なんとあっさりと通過させてくれた。
 そのほか、荷物検査もなにもかも、まったく拍子抜けするほどに何事もなく無事通過。
 危惧していた機内預け荷物も、かなり早い段階で出てきた。
 なんだよナイロビ、案外いい人じゃん……。
 いや、油断をしてはいけない。なにしろ「地球の歩き方」が歩いてはいけないという街なのだ。
 さてさて、我々を迎えるスタッフは本当にいるのか??

 「は〜い、ウエダさんですねぇ?ジャンボ!私はジャクソンでーす」

 凶暴格闘家タレント・ボビー・オロゴンを知的にして細くしたような……ってつまり全然ボビーには似てないってことか?……長身細身スタイル抜群の黒人青年が、とてつもなく流暢な日本語で我々二人を迎えてくれた。
 そして、初ジャンボ!!
 いやあ、ケニアだ、アフリカだ!!

 空港の裏口っぽいところにある駐車場に停めてある車へ。
 テッコーツアーズと書いてある。
 あとで聞いたのだが、TEKKOとは英語で言うと「STRONG」にあたるスワヒリ語らしい。
 なるほど、ストロングな旅行社なのだ。
 ワゴン車には運転者がいた。名をウィリアムさんという。
 車に荷物を運び、この場で今後の簡単な段取りを聞いた。で、いよいよ出発かな?と思ったら、

 「ちょっと待っててくださいねぇー、もう一人待ちまーす」

 なるほど、我々以外にもいるってわけね。
 しばらくここでウィリアムとともに待つことになった。
 うーん、のどかな空港だ。

 「ちょこっとそのへん歩いてみていい?」

 ウィリアムにそう訊ね、ストロングテッコーの車の周り半径10mを散策してみた。
 日本車だらけだ……。
 隣に停まっている車は沖縄で我々が乗っているカローラワゴンの色違いだった。

 冬のない軽井沢と聞いていたけど、真昼のこの日差しは初夏の沖縄なみじゃないか。駐車場に植えられている木々には、ブーゲンビリアやハイビスカスなど、これも沖縄でおなじみの花々が咲き誇っている。
 なんだか昔の那覇空港みたい………。
 空港から一歩出た途端にサバイバルゲームが始まるほどにデンジャラスなのかと思っていたら、空気は思いのほか沖縄チックだった。 

 それにしても、あたりじゅうにいる人たちは旅行社も勤め人もみな黒い。
 あたりまえだがあらためて実際に見てみると圧倒される。
 米兵がいる沖縄に住んでいるから、同じ日本の片田舎に比べると黒人は見慣れているものの、こうまで圧倒的にみんな黒いとやっぱり一瞬たじろいでしまった。

 運転席にいるウィリアムももちろん黒い。
 こういうキャラを見るとすぐさま「クロマティ」ってあだ名にしたくなるのだが、そうするとこの先クロマティだらけになるかもしれないので安易な命名はやめておこう。
 ジャクソンさんが戻るまでにはまだ時間がかかりそうなので、せっかくだから記念に写真を撮ってみた。

 そうこうしつつ、片言の英語を駆使してウィリアムと話しているうちにジャクソンさんが帰ってきた。
 日本人女性を連れている。 

 「こちらはカネマルさんでーす」

 ジャクソンが陽気に紹介してくれた。
 そんな、いきなりカネマルさんですって言われたって……。
 あ、そういえば旅行案内のどこかに、現地ツアー会社のスタッフの一人で金丸さんていう名前があったっけ……。
 てっきり到着する旅行者を待っているのかと思いきや、同じ空港に帰ってくるスタッフをついでに待ってたわけね?

アフリカのコウノトリは銀座のカラスだった

 いよいよ空港を後にする。
 行く手にはどんなサバイバル空間が待ちうけているのだろうか。

 空港はナイロビ市の郊外にあって、空港道路のような太い一本道で街と繋がっている。
 その玄関口には、警官が何人も立つゲート付のセキュリティチェックポイントがあった。なるほど、こういう検問があれば、とりあえず空港施設周辺は安全を保たれているに違いない。
 さすが郊外だけあって、道沿いはそれほど建物がギュウギュウ詰めってわけではなかった。これからどんどん建ち並んでいくのか、建ち並んでいたのがどんどん無くなっているのかは知らないけれど。
 沖縄の場合、こういう大きな道路沿いにフェンスが見えてくると、フェンスの向こうの広大な土地はほぼ間違いなく米軍基地と相場がきまっているが、ここナイロビでは、フェンスの向こうは広大なマサイの土地だった。
 牛飼いのマサイたちがフェンスの向こうのサバンナに立っている。
 おお、ホンモノのマサイ族……。
 立っていたのはマサイだけではなかった。

 シマウマだ!!

 おお………アフリカだ!!アフリカじゃないか!!
 サバンナとはいえ、まさかこんな街中で出会えるとは思ってもみなかった。
 その後、イヤというほど見ることになるシマウマとの初めての出会いだった。プリッとしたヒップは、ウワサにたがわず色っぽい。うーん、セクシーゼブラ……。

 街中の野生はシマウマだけではない。
 もう少し街がにぎわいを見せるあたりに差し掛かってきたとき、晴れ渡るアフリカの空をふと見上げると、巨鳥が何羽も舞っていることに気がついた。

 ジャクソンさん、あれは何??

 「あふりかはげこうですねー」

 もともとスワヒリ語は母音の多い言語のせいか、ネイティブな英語圏の人が喋る日本語よりも聞き取りやすい。というか、動物たちの和名まで心得ているところがすごい。
 アフリカハゲコウである。
 コウノトリの仲間だ。
 コウノトリといえば、先ごろキコ様に待望の第3子をもたらした鳥だが、ここナイロビのコウノトリはまるで銀座のカラスのようにゴミを漁りまくるのだという。
 カラスでさえゴミ捨て場で目撃するとかなり気圧されるというのに、こんな巨鳥がゴミを漁っていたらとても撃退できない…。

 山賊や強盗団が群れなして潜んでいるものとばかり思っていたナイロビの町は、車に乗って眺めている分にはいたって穏やかな人たちで溢れかえっていた。
 人々はとにかく歩く。とことん歩く。
 車の多さはケニア一といわれるだけあって、自動車の交通量はたしかに多いのだけれど、歩道にはビジネススーツに身を包んでいる人、アフリカらしい原色カラーの服を着ている人、なんて事のない格好をしている人、とんでもなく重そうな荷物を持っている人、リアカーを引いている人、いろんな人々が、いったいどこを目指しているのか、この暑い暑い赤道直下の日差しを受けながら、男女を問わずひたすら歩いているのである。
 そんな道々には、ときおり工事現場があったりする。
 重機が動いている場所があるかと思えば、つるはしとスコップで気の遠くなるような作業をしている人たちもいた。
 その現場は、二人が働いていて二人が監督をしているという、なんだかどこかでよく見る風景だった……。

 歩いている大勢の人たちが行き倒れないためなのか、だからこそ需要があるからなのか、道々にはマラソンコースの給水所のような感じでドリンクやくだものを売る露店が出ていた。まるで日曜の沖縄の国道沿いで見られるアイスクリンのように。
 マンゴーがたくさん並んでいる。
 沖縄と違ってこういうところのマンゴーは、放っておいてもボコボコ実をつけるのだろう。
 露店といえば、道沿いには家具やベッド、タイヤなどなど、なんでもかんでも売られている。このなんでもありの雰囲気は、きっと30年くらい前の沖縄もそうだったんだろうなぁって感じだ。

 そんな街中でおもむろにテッコーカーは止まった。

 「ここで彼女は降りまーす」

 おお。
 さすが日本人とはいえ現地の人。
 地球の歩き方に「歩くな」と書いてあるところに、車を降りた彼女は一人で普通に歩いて去っていった。

 いったん街中に入ったストロングテッコーカーは、もう一度郊外を目指し始めた。
 行き先は………

 ジラフセンターである。はたしてそこでは何が待っているのか?<だからジラフだってば。