ニセコスキーEXは、新千歳空港から、札幌、小樽、余市などを経由し、ニセコに至る。
……と書くと、いかにも地理に詳しいように思えるかもしれない。しかしこれは単に地名を列記しているだけと思っていただいて間違いではない。
そもそも、北海道はでっかいどう(もうええっつうの)。
沖縄本島全図くらいのサイズで地図を見ても、それはたいてい北海道の一部なのである。
今回のように、最初から行き先はとにかくニセコ、最寄りの空港は新千歳空港ってわかっている場合、宿を探すにもスキー情報を得るにも、北海道全図からたどって行く必要がない。また、縮尺があまりにも小さくなると、小さな北海道全図なんてイラスト程度のものでしかなく、キチンとした地図を見たうえで把握できるような情報はない。
………などと長々と書いて何を言いたいのかといいますと。
僕は旅行直前くらいまで、さっぱり位置関係をわかっていなかったのである。
札幌から小樽、ニセコへと続く、という調べはついていた。
でも、その小樽がどこにあって、それは札幌から見ればどの方角で、さらにニセコはそのどっち側なのか、なんてことがまったくイメージとして出来あがっていなかったのだ。
それどころか、なんとなくニセコっていうのは札幌よりも東側にあって、小樽は苫小牧のあたり、ってイメージを形作っていたくらいである。そのため、いったいどういうルートで走るんであろうか、この電車は……などと、無邪気なまでにバカな疑問を抱いていたものだった。
ま、そこはそれ、もはや30越えたいい大人であるからして、出発にあたりしっかり学習し、もはや北海道、特に道央よりも西に関しての地理は完璧である………
………はずだった。
が。
新千歳空港についてこの電車に乗る段になって、初めて新千歳空港の北海道における地理的位置を理解したのだった<バカ。
だって、新千歳空港って札幌の空港って思うじゃないですか。
なんで札幌の空港の名前が新千歳なのか、という疑問は、タコ主任の頭髪なみに薄々とは感じていたものの、僕にとっては深い問題ではなかったのである。
そのため、新千歳空港に着陸したのが、海が見えてからすぐだったので、僕はてっきり眼下の海を日本海と思っていたのだ。
まさか、新千歳空港がこんなところにあって、しかもそこから札幌まで電車で40分もかかろうとは……。
いやあ、旅行って面白いねぇ。
ちなみに、今回珍しくすべての地理を頭に入れていたうちの奥さんは、僕がマヌケなことを言うたびに勝ち誇っていた。
そんなマヌケなヤツを載せているってことを知ってか知らずか、ニセコスキーエクスプレスは雪景色をひたすら走る。
車窓から見える家の色・形が面白い。
見様によっては一様とも言えそうだけれど、整然と住宅が並んでいるように見えて、それぞれの色・形が個性を競い合っているかのように不揃いなのである。雪に覆われているからこそ統一性があるように見えるけど、これってもしかして夏に見るととんでもなく派手な街なのではなかろうか……。
札幌を過ぎてしばらくするまで、断続的にそういった街並みが続いた。
そのころ、車内にビールがない!という衝撃的真実に我々はようやく気付いていたのである……。
やがて電車は海沿いを走り始めた。
雪景色の海辺を走るリゾート列車………。
きっと傍から見たら美しいに違いない。車窓の風景はひたすらのどかだったので、ひょっとするとこの風景にリゾート列車だけが浮いているのかもしれないけど……。
今日は本当にいい天気だったらしく、真冬の日本海のくせに海は非常に穏やかだった。
僕はここで「哀しみ本線日本海」を歌う予定だったのだが、あまりののどかさについついうたた寝してしまった。
このあたりから、雪はぐっと深まってくる。
暖房でポカポカする車内にいると、ふっくらふんわりマシュマロのような曲線を描く積雪まで暖かそうに見えてくる。
いつしか電車は余市(よいち)へ。
そのころの僕はすでに夢か現か、あまりに白い雪の世界にアテられて心ここにあらず状態になってしまい、まるで雲の上を歩いているようだった………つまり寝てたわけです。
普段助手席で必ずといっていいほど10分で眠くなるくせに、うちの奥さんはがんばって景色を楽しんでいたようだ。
それによると、雪に覆われてはいたが、なにかを栽培しているような土地がダーッと広がっていたという。ブドウのように見えなくもないけど、北海道でブドウってあんまり聞かないしなァ。起きていたといいつつ、実はワインでも飲む夢でも見てただけなんじゃないの?
余市以降、電車はずっと山間を縫うように走っていたと思うのだが、倶知安を前に、視界がときおり開けるようになってきた。
そして…………。
羊蹄山登場!!
車窓から眺めることが出来るとは夢にも思っていなかった。
北海道のシンボルといってもいいこの羊蹄山は、蝦夷富士とも呼ばれる名峰である。
日本国内に自称他称含め350山ほどもあるといわれる○○富士だが、この蝦夷富士は本家富士山に勝るとも劣らぬお姿だ。
何を隠そう、僕の今回の目標の一つが、この羊蹄山のお姿を拝むことだった。ニセコを選んだ理由のひとつは、この羊蹄山にほかならない。
登山家でも百名山マニアでもなんでもない僕がなぜ?と思われるかもしれないが、ただただ、美しいその姿を見てみたかっただけである。
ただ、この時期の北海道は真冬日が多く、麓から山頂まで、まったく雲に覆われていない姿を見る機会は非常に少ない、ということを様々な方のスキー旅行記を読んで覚悟していたので、かなわぬ望みはそっと胸にしまっておこう……と、いじらしい慎みをみせていた。
それが車窓から念願達成できるなんて………。
そっとアイヌの神々に手を合わせた。
この山、今でこそ羊蹄山といわれているが、そもそもは後方羊蹄山と書き、その読みは「シリベシヤマ」だったそうである。しかも驚くなかれ、その名は日本書紀に登場するのだ。
東北に旅行したとき、僕は蝦夷(この場合エミシと読む)の世界に興味を抱いていて、浅いながらもその歴史を自分なりにひもといてみた。その際、ものすごい頻度で中央政府から「討伐」されていることを知ったのだったが(みちのく二人旅編参照)、その討伐軍の歴史上の第一陣といっていい人は阿倍比羅夫である。
阿倍比羅夫が遠征したのは実は東北だけではなく、遠く北海道まで、縦横無尽、獅子奮迅の活躍だったらしい(中央から見て、だけど)。彼が後方羊蹄山にささやかな政庁を設けた、というようなことが日本書紀に載っているそうな……。
どう考えても、この山は現地の人々の霊峰であった思える。であればこそ、そこに政庁を置いたのだろうか……。
いまではそんな歴史はアルファケンタウリよりも遠い世界の物語。
人の世界は随分変わってしまったが、シリベシヤマは昔も今も、そして遥かな未来まで、揺るぎない威容を誇りつづける。