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2度目のリフト

 吹雪はおさまったものの、まだ風が吹いているので視界は白い。そして空はどんよりと曇っている。スキー場に着いたばかりの頃、あれほど鮮明に見えていたゲレンデも麓の景色も、回復する気配はまったくなかった。
 そんななか、オタマサは気合をこめてついに2度目のリフトに乗る決意をした。

 リフトに乗る前は「なんとかなりそう」と思っていたオタマサは、リフトが上昇するにつれてだんだん不安になってきたらしい。
 「やっぱりこわいよぉ……」
 「ホントに少しずつ滑ってよぉ……」
 などと、普段肩で風切って歩いている姿からは想像もできないオタオタぶりである。
 貴公子はそれを見てただただ愉快でいたのだけれど、実のところ貴公子のほうも「見えない…」ってことにいささかのプレッシャーを感じてはいた。
 ホント、さっきはなんにも見えなくなったんだから。
 見えないからコースを外れて深雪にはまり、そのまま雪に埋まって3年くらい発見されなかったらどうしよう……。
 ま、貴公子の方がオタマサよりは高度な不安だったのだが<どこが!

 あまりにオタオタ不安がるので、いい加減業を煮やして冷たくあしらっても、いつもと違って不機嫌にならないうちの奥さんだった。相当不安であるらしいことがわかる。
 しかしここは心を鬼にして、厳しくいこう。ほら、獅子は我が妻を千尋の谷へワザと突き落とすというではないか。あ、あれは「我が子」か……。まぁ、とにかく「習うより慣れよ」である。

 1度経験したら、リフトから降りるなんてのはお茶の子さいさいである。
 ……と思ったら、オタマサは相変わらず緊張していた。たしかに、踏み固められたリフトの降り場は他の場所に比べると変に滑ってイヤな感じではあるが……。リフトにも慣れてもらうしかない。

 リフトから滑らかに降りた後、1回目と同じ場所に行ってみた。さっきに比べればかなり視界は開けている。今回は最初からゴーグルをはずしていたので、視界が曇ることもない。しかも今回は首も暖かいぞ!なにしろネックウォーマーを装着しているんだから……。
 オタマサは相変わらずオタオタしていたので、貴公子は先に行きつつ細切れに止まって彼女がついてくるのを待つ、ということにした。
 さっきに比べればマシとはいっても、わりと小刻みに立っているナイター用照明のポールが2本先までしか見えない。コースを覚えていないから、あまり貴公子が遠くまで行くとオタマサは遭難するかもしれない。仕方がないのでポール2本おきくらいのペースで滑っては休み、滑っては休み、ゆっくり下降していった。
 もはや貴公子はすっかり昔の感覚(たった3日の)がよみがえり、板を揃えてカッコヨク(本人談)滑っていた。小刻みに小休止するのがもどかしかったほどだ。もどかしかったが、振り返るたびにウィーン、ウィーンと降りてくる雪のミジンコを見ては、そうも言ってはいられない。
 我々が滑っている初心者コースには、1ヶ所だけ他に比べてやや勾配が強い場所があった。ジュニアコースという名のくせにナマイキである。おまけに狭いので、他のスキーヤーがいるといささかプレッシャーだ。
 話に聞いていたボーダーの車座も初めて見た。
 当初、ボードだから立っていられないのだろうと好意的に見ていたのだけれど、あれはようするに街でよく見かける「どこでも座る若者たち」だからなのだろう。なんでそんなコースの真中で座っておるのだ!とオジサンは説教したくなった。
 スーイスーイと滑っている貴公子だったが、そういう人を避けなければ、というところではフト我に返ってしまい、えーと、右に曲がるにはどうすんだったっけ………となる。曲がらないまま滑降するとスピードが出て、さらにわからなくなっていく。何も考えずにただ体が反応しているうちはいいのだが、我に返ると体が反応しなくなるのだ。これも年のせいかなぁ……。
 それでも、1度もこけることなく滑っているのだからさすが貴公子である。フフフ。
 一方オタマサも自力でしっかり滑っていた。ストックを引っ張ってもらっていた1回目と比べると格段の進歩ではないか。もっとも、こういうやや勾配の強いところにさしかかると制御不能のスピードになるらしい。そうなるたびに、雪のミジンコは潔くステテンと倒れていた。どうやら、スピードで困った時はこければいい、というコツをつかんだようである。
 そのやや勾配の強い斜面を降りたところで大休止を要求するオタマサ。スピードを極力押さえようと慣れないボーゲンで力を入れているものだから、全身の筋肉に乳酸が溜まりまくっているのだ。「フフィーッ……」といいつつ、傍らで大の字になっていた。

 そこからロッジまでは緩やかかつ広い斜面である。ここまでのことを思えばなんてことはない。
 どうやらスキーというものは、ゲゲッ!ということを体験することによって、それ以前までゲゲッ!と思っていたことを克服していくものであるらしい。朝はスキー板の装着すらおぼつかなかったくせに、ここまで来れば安心……なんてオタマサでさえ言っているのだから。最初の1回であきらめず、もう1度やったおかげで、何か掴めそうになっているうちの奥さんであった。

 ロッジで再び一服した。
 午前中に1回、そして今回と、この日まだ2回しかリフトに乗っていなかったが、なんだかずっとスキーをしていたような充実感がある。と同時に、疲労感もあった。
 貴公子の場合は朝の講習時の斜面登りがつらかったのだが、オタマサは2回のリフトで足の筋肉を目一杯使ったようだ。そんなこんなで、缶コーヒーを飲んで一服しているうちに「今日は終了」ということになった。
 ウーム。8時間券で2回…………。
 まぁ、いいか。

 帰りもまた宿の方が迎えに来てくれることになっていた。
 望みの時間を電話で指定すればいい、というシステムである。
 電話をすると、シェフインストラクターはシェフオーナーに変わっていて、倶知安で買出し中とのことだった。30分後に迎えに来てくれるそうだ。

 ニセコに訪れるスキーヤーというのは、たいていストロングな方である。
 特に、ペンションに泊まって悠々スキーなんて人はなおさらであろう。少なくとも、2回リフトに乗っただけで帰る人ってのは珍しいに違いない。午後3時過ぎに宿に戻る人はそうそういないみたいだった。そのため傍から見れば、「こいつら楽しんでるのかなァ……」という気がしたかもしれない。
 あれからもう1回リフトに乗りましたと、インストラクター改めオーナー氏に報告したんだけど、「え?あのあと1回しか乗ってないの?」って思ったかなぁ。
 でも、スキーをして、温泉に入って、昼寝をして、夜はご馳走………なんて、夢のような一日ではないか。我々はすこぶる充実していたのだ。なんといってもオタマサは生まれて初めてのスキーだったのだから。リフトに乗って滑って降りてきた、というだけでも人生におけるエポックメイキングなことなのである。

 宿に戻ると、女将さんが
 「凄い吹雪だったでしょう?」
 と気遣ってくれた。宿にいてわかるほどに凄い吹雪だったのだ、あれは。
 大アドベンチャーをくぐり抜けたあとは、暖かい温泉である。
 スキー場でも宿の中でも、(吹雪の真っ只中にいた時を除き)まったくといっていいほど寒さは感じなかったけど、やっぱり温泉は気持ちいい。露天ではないが、男女とも貸切状態なのでなんだかゼイタクな気分だ。1坪ほどの湯船でビヨヨ〜ンと全身を伸ばし、しばしたゆたってみたりした。
 脱衣場で体重計に乗ってみた。
 規則正しい生活、そして適度な運動。見事に痩せているに違いない。

 ヴぇッ!? 

 ふ、太ってる………。それも2年ぶりくらいの水準に。

 な、なんで???………ってその時は一瞬思ったけど、もちろんここまで書いてきた僕も読んできたあなたも、その理由は手に取るようにわかっているのだった。