何を隠そう、僕は飛行機が嫌いである。
あ、いまさら言うまでもないッすね……。
なんで嫌いなのかというと、高いところが嫌いだからである。高いところといっても、サンシャイン60の60階だったら問題はない。感覚的に、そこの空気が地につながっている気がする。
でも、行ったことはないけどおそらくその屋上から下を見下ろすのはキビシイに違いない。
横浜で乗った大観覧車ですら、額に脂汗を浮かしていた僕である(乗ろうって言ったのは自分なんだけど…)。飛行機に乗っても見晴らしのよい展望台にいても発狂してしまう、というような異常的高所恐怖症ではないものの、生理的嫌悪感はどうしようもない。
スキーはどこまで行こうと地面であると思っていた。
地面である以上、どこまで上に行っても大丈夫と思っていた。
でも。でも。
目の前のコースは、僕にとっては「落ちて行く」という以外の何物でもなかった。
一方オタマサは。
彼女は特に高いところが嫌いというわけではないのだが、僕とは違うところで恐怖におののいていた。
こんなに急だと、スピードが出る!!
貴公子もボーゲンの帝王も、なすすべもなく立ち尽くしていた………。
ここはひとまず、イヤなことは忘れて景色を楽しもう。
この先に1000m台地展望台ってのがあるのだ。オーナー氏は、ゴンドラ終点からその先へと続くリフトがあるから、それに乗ってさらに上まで行ったら全然違う雪質を楽しめるよと教えてくれていた。でも、すでにここでボーゼンとしているのにさらに上に行くなんて考えられない。
ただし、1000m台地展望台と書かれた看板はゴンドラ終点からすぐのところにあった。
。
ふと展望台を覆っている雪に目をやると、表面が日を浴びてキラキラしていた。最初僕たちはてっきり凍ってしまった雪が反射しているものと思っていたのだが、よく見るとなんとそれ全部雪の結晶であった。雪の結晶のまま積もっているのだ!!
光を反射する角度にある結晶だけキラキラするから、我々が場所を変えたらミラーボールのように輝いた。ヒラヒラと降っている雪も同様で、まるでダイヤモンドダストのように、輝きを放ちながら静かに舞い降りていた。キラキラ…ヒラヒラ………。
雪の博士として知られる雪氷学者、故・中谷宇吉郎博士は、
「雪は天から送られた手紙である」
という素適な言葉を残している。その手紙は、いったい人々に何を伝えようとしているのか………。
雪のない南国から来た我々にとっては、雪は天そのものともいえた。
いやはや、実にいいものを見せてもらった。亜熱帯の海から雪深い北の台地まで来た甲斐があったというものだ。さあ、それでは帰るとするか………。
おおおおっと、忘れていたぜ。
我々はここから滑って降りねばならない。
修学旅行生たちはといえば、一人転び二人転び、結局全員転がりつつゆっくり降りていっていた。彼等にできて僕等にできないわけがない…………たぶん。
斜面が急なのもさることながら、急な部分のコースが狭いのがやっかいだった。狭いといっても両側が壁になっていればともかく、そのまま山の急斜面になっているのだから、飛び出してしまうとズルズルズルズル――――――………ってことになりかねない。
いまだにフト我に返るとどうやって右に曲がるんだっけか?となってしまう貴公子である。そうなっても、ゲレンデの幅が広いところなら、返った我をまた真っ白に戻すまで左にだけ曲がっていればよかった。でも、ここで片側に曲がりつづけたら奈落の底に落ちてしまう。
こうなれば、スーパーボーゲンでいくしかない。とにかくゆっくり行けばいいのだ。ゆっくりゆっくり小刻みに行こう。
事ここに至ってボーゲンをするなんて貴公子としては断腸の思いなのだが、腸は断てても背に腹はかえられない。
覚悟を決めて、崖を滑り降りた。
おッ?…………オォッ!?………ウウォウォッ!?………アワワワワワ……ウワッ!!
昔習った等加速度運動を思い出した。
最初ゆっくりでも、いくらボーゲンでも、放っておくとだんだん速くなっていくのである。速くなってからボーゲンでカーブ、というのは相当に力が要る。
わずか15mほど下に行っただけでとりあえずストップ。後続のオタマサを待った。
貴公子でさえこうなのだ。オタマサは大丈夫だろうか??
おッ?………おッ?…………オォ!?
相変わらず雪のミジンコだったけど、「相変わらず」というのが凄い!
ホントにいつのまにかボーゲンの女王になっていたようである。かっこつけて基礎の基礎ボーゲンをなおざりにした貴公子は、今ようやくその大切さを理解したのだった。
息を整え、引き続き小刻み降下を開始。
目標を定めても思い通りにそこで止まれないので、僕が止まったところまで、ってことにした。
さぁ、もう1度渾身の力をこめてスーパーボーゲンをば……。
おッ?…………オォッ!?………あれ?……
これだったら、板を揃えても大丈夫かも!!
スピードが出ても、小刻みにターンを繰り返せば速度は抑えられるのだ。な〜んだ、そうか、そういうことか!!
貴公子は板を揃えた。
おお、ちゃんと滑れるじゃないか!飛ぶは小雪か、舞い立つ霧か、颯爽とすべる雪原の貴公子……。
そのとき。
我に返ってしまった。あれ?どうやったら左に曲がるんだっけ???
いくら空いているといったって、ところどころでボーダーがコケていたり修学旅行生が集合していたりするのだ。この斜面で曲がらずにいると、僕の技術と体重ではパレスチナの自爆テロなみに危険な存在になってしまう。
右に曲がりつづけているうちに、どうか返った我よ、元に戻って!
…………という願いは届かず(そういう願いをしているってことがすなわち我に返っているってことなんだが)、右側の限界でストップ…………しようと思ったら、ついに制御不能状態に。
貴公子初の転倒。
素直にケツから落ちればいいのに、倒れないように停止しようと無理な体勢でがんばるものだから、体は反転してうつ伏せ状態で倒れ、スキー板は外れる。
板だけが虚しくス――――――ッと下に……。
あれ?板って外れたらすべり止めがあるから落ちていかないはずじゃあ……?
あ!横向きになってる!
板一本だけ、実に見事に滑降していった……。
斜面で板を装着するのはこれまた難しかったが、どうにかこうにかつけ終わる頃、ボーゲンの女王が滑り降りてきた。格好はあくまでもオタマサなのに、実に安定している……。これからは、オタマサ改めボーゲンの女王と呼ぶべきか。
その後も、色気を出して板を揃えるたびに、我に返る…ターン不能…停止失敗…うつぶせスライディング、ということを僕は何度か繰り返した。そのなかでも、修学旅行だか地元の学校だか知らないけど、インストラクターの前でズラリと勢揃いした女子高性たちの目の前でのスライディングがもっともブザマであったろう。トボトボと板をはめる貴公子であった。
何度も板が外れながらコケながら、やっとリフトの終着駅にたどり着いた貴公子だったが、ボーゲンの女王は「相変わらず」の安定滑降を続け、1度も転ぶことなくたどり着いたようだった。ウムムム…クヤシイ。
そこからはこれまで何度も通ったコースだったはずなのに、貴公子は我に返るクセがついてしまって、今までなんてことなく普通に行っていたところで危うくこけかけた。ボーゲンの女王は、もうこれまでのコースはなんてことないようだった。ミジンコだったけど……。
ロッジで無事の生還を祝った。これまでのスキー暦で(って合計たったの5日間だが)、もっともプレッシャーを感じた貴公子である。余計な力も相当入っていたらしく、疲労度は群を抜いていた。いやぁ、スキーってけっこうしんどいものなんだなァ………。
「初日の私がどれだけしんどかったかわかった?」
と、いささか余裕の出てきたうちの奥さんは笑った。
話のタネにも、1度ゴンドラに乗ったのだから目的は終了である。1日4回乗ればいい、というノルマもすでに達成している。でもまだ午前中である。なにしろ8時半から来ているから……。
もうゴンドラには2度と乗るまいと心に決めてその後1回リフトでシャラッと滑ったものの、そうするうちになんとなくこの次行けばもう少しうまく出来るんじゃないか、そんな気がしてきた。
再び「本当に行くの?」「行くでしょう?………ホントに?」「……行くでしょう?」という縋るような問答を繰り返しつつ、我々はまたしてもゴンドラに向かうのだった。