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 リターンマッチ

 精も根も尽き果てたかと思われたものの、修学旅行生たちを見ているうちに、なんとなくもう少しうまくやれそうな気がしてきた。
 斜面が急だと、下を向くとすぐに加速する。だからなるべく直滑降姿勢にならないように、たえず斜めに降りていくようにしていけばいいのだ。が、我に返るとターンできず、そのまま直滑降になって制御不能のスピードになってしまったのがこれまでの敗因である。
 修学旅行生たちがすべるのを見ていると、コツはどうやらクイックターンにあるようだった。とにかく下を向く時間を少なくすれば、スピードが急加速することはない。なら、最も斜面が急なところは、色気を出さずにボーゲンでいけばいい。ボーゲンであれば、我に返ってもターンはできる。ボーゲンの女王が大丈夫だったのだから。

 2度目ともなれば、最初は急と思えた斜面も緩やかに見えるかな、と期待したのだが、まったく変わらなかった。ゴンドラから人々が滑っているのを見たら簡単そうに見えるんだけどなぁ……。

 何もかもかなぐり捨てて、ボーゲン貴公子いざ出陣である。
 今回は、中間地点であるリフトの終着駅まで各自のペースで、ということにしたから、途中で止まる必要はなかった。そのおかげもあったのか、ボーゲンで力いっぱい踏ん張って難関を突破した後は、板を揃えて実に爽快に滑ることができた。ターンするとき、内側の足を上げ気味にすると、なんかスムーズになるってことにも気付いた(これって正しいの?)。なんか、僕はひとつ掴んだような気がする。ま、途中で1度フゴゴゴゴゴ――――ッとスライディングしたけどね。

 ボーゲンの女王は………と、後ろを振り返ると、200mほど後方のあらぬところでコケていた。どうやらスピードが出すぎて(それでも超スロースピードなんだけど)制御不能になったのでワザとこけたようだ。すぐさま起き上がって滑り降りてくるかと思いきや、板が外れていたらしく、一生懸命装着しようとしていた。
 5分ほどたってもまだつけられないらしい。
 斜面だからつけにくいのか、今度は板を抱え、やや平らになっている傍らのダケカンバの下まで歩いていった。
 ………それから待つこと15分。いったい何をしているんだろう????
 ようやく装着できたらしく、相変わらずのミジンコ走法でウィーン、ウィーンと降りてきた。そして開口一番
 「なんか板の調子悪いみたい。手であげないとだめだった……」
 おいおいおい、それって……。
 「板がはずれたあと踵部分のスプリングのところをちゃんと下ろした?」
 「へ?」
 あれだけ丁寧に教えてもらっていたというのに、まったく頭に入っていなかったらしい。初日のその時点ではそれどころじゃなかったってことか………。

 快晴でしかも気温がわりと高かったせいか、圧雪され、多くの(っていっても空いているけど)スキーヤーが滑って行くゲレンデはけっこう固くなってしかもデコボコしていた。もしかしてこういうのがノーマルなのかもしれないが、初めて味わう我々にとっては非常に不便だった。
 それはともかく、何度もいうが快晴のゲレンデの眺めは格別である。

 生命の危険すら感じた1回目とは違い、今回はちょっとした達成感を得たような、充実した1本だった。その心地よい気分で、昼間の生ビールタイムに突入。
 今日は再びレストランである。晩御飯がボリューム満点なので、昼はおつまみ3点セットにとどめた。
 ゴンドラ制覇(?)を記念して乾杯。
 レストランやラーメン屋では、僕らのほかにもビールを飲んでいる人はいたので、外で飲むほど肩身は狭くはない。ただし、ビールを飲んでいるのは間違いなく年配の人たちであった。言い方を変えれば、おっさんたちだけがビールを飲んでいるのだ。
 このおっさんたち!
 実生活ではOLに煙たがられているだけのオヤジのくせに(当サイト推測)、外見はともかく技術的にはどの人もみんな颯爽たるスキーヤーなのである。みんな「蘇る金狼」だ。

 ビールを飲んで、つまみを食って、暖房の効いたレストランでボーッとしていると、適度に運動したこともあって実にホンワカした気分になってきた。
 もう6回も滑ったんだし、このあとはひたすらボーッとしていてもよかった。
 おそらく、昨日一昨日のように曇天かつ雪模様であれば、そのまま雪見酒などと洒落こんでいただろう。
 だが、この日はあまりにも天気がよかった。
 いつしかアンヌプリの山頂まですっかり雲がなくなっていた。このままニセコは春になってしまうんじゃないかというくらいの陽気である。さっきは山頂付近がやや曇っていたけど、今なら銀河の星々が見えるほどの蒼天なのではなかろうか………。

 というわけで、我々は再びゴンドラ山麓駅に向かった。そして、おそらく今回の旅行で最後になるであろうこの機会に、うちの奥さんは最後の念願を叶えることにした。

 標高1000mでビールを飲もう!!

 こればかりは、僕は諌めた。諌めたというか、自分は要らない、といった。すでにジョッキ一杯飲んでいるのだ。このうえ気圧の低いところまでいってもう一本だなんて、あんたスキーをなめているのか!
 といって言うことを聞く女ではない。
 そのくせ、僕のポケットにビールを入れてくれなどというのだ。B型恐るべし。もちろんことわったけど。

 午後の日差しを一身に受けていた羊蹄山、輝くアンヌプリ山頂、そして見渡す限りの白い台地……。青空と呼ぶのがチンプに思えるほどの空には一片の雲すらなく、その先に宇宙があるって感じられるほどにどこまでも透き通っていた。くどいほどになんども褒め称えるが、それほど嬉しかったのだから許してね。

 残念ながら、おりからの朗らかな陽気で霧氷はすっかり溶け去っていた。青空をバックにして霧氷の木々を撮りたかった………。霧氷は午前中が勝負なのだそうだ。

 僕の諫言はまったく聞かなかったうちの奥さんだったが、さすがに現場に来るとやはり気が引けたらしい。1000m台地の展望台でビール!!はあきらめたようだ。
 が、ポケットには北海道限定サッポロクラシックが入っている。
 これがまた、格好の被写体になってくれた。晴れ渡るゲレンデで羊蹄山をバックにサッポロビールなんて……。俺はサッポロビールの回し者か、というくらいにいい絵ではないか。私のおかげで撮れたのよ、と勝ち誇るヤツ約1名………。(
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 これほどまでに絶景かな絶景かなという場所なのに………思わず目を疑ってしまった。なんで吸殻が落ちているのだ!!!
 我慢できずにタバコを吸う、というところまでは許そう。が、なんでこんなところで何本も吸殻を捨てられるのだ、お前は!<誰か知らんが。
 上古には神々の座であったろうこの山々でスキーをしている……ということですら恐れ多いことなのに、ホント、どんな神経しているのかなぁ。
 天が降すのは、何も雪の手紙のように素適なものだけに限定しなくてもよい。天のいかずちでもロンギネスの槍でもなんでもいいから、こんな不届きなヤツは是非叩いて砕いてもらいたい。
 ………同じ不届きでも、ゲレンデでビールを撮っているヤツは許してね。

 かなり時間をかけてのんびりした後、最後の滑り。
 すでにさっきの時点で何かを掴んだ気がしていたので、午前中に比べればその精神状態は夏のベタ凪ぎの海のように穏やかだ。スキーって、本当に「ゲゲッ!?」を乗り越えていく遊びですなぁ。

 そうやって、乗り越えはしたんだけど………。
 今度は体がついていかない!!
 この最後の滑りは、あれ?なんでこんなところで途惑うの?という連続だった。どうやら脚に力が入っていないようだ。昨日までさんざん「スキーって案外運動にならんのね……」などとうそぶいていたくせに、今このとき、膝はガクガク腿はワラワラ……。僕の下半身は大笑いしていたのである。これか、みんなが言っていたのは………。
 最後の最後でスキーの底知れぬ奥深さの端緒にたどり着き、ようやく僕は気付いてしまった。
 正直に言おう。
 「雪原の貴公子」は、実は「斜度10度以内の貴公子」だった。

 ロッジの前に到着し、実に謙虚に己を見つめて深い考察をしていた10度以内の貴公子のもとへ、ボーゲンの女王がご機嫌ポーズでウィーン……とたどり着いた。