前菜、スープなどをはじめ、幹部席(つまりメニューを置いた席)に集まった面々が注文部長となり、北京ダック以外の料理を吟味していた。
その間、まずはビールで乾杯を。
ビンビールだと、小さなコップを飲み干すたびに注ぐのが面倒だから、ジョッキにしようと結論づけた。ところが、
「大人数の場合はピッチャーでお願いいたします………」
ン?
と首をかしげていると、人数分とおぼしき生ビールが注がれたピッチャーが一つ登場した。
1つかい、おい!!
9人でピッチャー一つだったら、余計面倒じゃないかッ!!
すかさず飲み干し、次からビンに切り替えた。
注文した料理はまとめてドドンと来るわけではないから、9人で1つのテーブルだと、料理が1皿届くごとにあっという間に空になってしまう。順番に料理がやってきても、そのつどテーブルにポツンと一品………という状態。大きなテーブルだけに、なんだか侘しいぞ。
そんなとき、ついに北京ダックが登場した。
傍らでお姉さんが巻き巻きしてくれる。
ウーム………。
たしかに北京ダックなんだろうけどなぁ……。
だって、丸ごとじゃなくて、ブラック・ジャックの皮膚移植手術なみにきれいに剥がされた皮だけがズラリと並んでいるのだ。それがアヒルなのか三線の皮なのか、ちっともわかんないじゃないか。
………なんて不満をこの場で言うわけにはいかないよなぁ、注文した本人が。
さんざん駄々をこねた甲斐あって、記念すべき一番手の栄誉を賜った。
巨大オタベのような包みを、アムッ!とばかりに頬張る至福の瞬間…………
あれ?
なんか感じが違うぞ………。
たしかにいかにも北京ダックってタレの味ではあるけれど、頭に描いていた憧れの味と何かが違う……。
アッ!
そうか、これがいわゆるホンマモノの北京ダックなのか!!
ホンマモノという表現が適当かどうかは知らないが、聞くところによると北京ダックというのは元来皮だけを使ったものであるらしい。ところが、僕がこれまで食べ、夢見、そして思い焦がれてきたものは、皮に幾分肉が残った、こってり系のニセモノ北京ダックだったのである。
こってり系の肉がついてないわけだから、それをアテにしていた僕からすれば、
もの足りない!!
こんなはずじゃなかったのに……。はるばる横浜中華街まで来たというのに………。そういった万感の思いが、つい口に出てしまった。
「なんか、美味しくない……」
円卓のそこかしこから、石つぶてが飛んできたのは言うまでもない。
こんな話ばかり書いていると、久しぶりに会ったというのにコイツら食うことしか頭にないのかと思われそうだが、もちろん積もる話もいろいろあった。ただあまりに赤裸々なので、公共のネットワークで披露することが憚られるだけである。
そういう席でもっともおかしかったのは、8年ぶりに会った友人である。
この8年間、学生時代の友人たちの身の上に起こった出来事(例えば誰と誰が結婚した、とか)を、彼はことごとく知らずにいたのだ。8年といえば、さすがに積もる話は堆積しすぎて下層は岩になりつつあるくらいなのに、彼は中華料理以上に、8年間のダイジェストをたっぷりと堪能することができたわけだ。今宵最もオイシイ思いをしたのは彼であるといっていい。
そうこうしているうちにあらかた料理を食い終わったので、そろそろ場所を変えて2次会へ、ということになった。
普通、では2次会に、ということであれば何人かは「お先に……」と帰るものだろうに、そのまま全員ゾロゾロと幹事ケンタローオススメの店になだれこんでしまった。
この店がまたなかなか洒落ていたのである。
1階は生演奏のジャズを聞きながら飲むことができ、2階は生演奏はないけれど、いかにも港ヨコハマ、舶来の雰囲気って感じ。ジャック・ターという、知る人ぞ知るカクテル発祥の店なのだそうである。なんでケンタロー、こんなとこ知っているの????
我々が喋ると生演奏を台無しにしてしまうから、大人しく2階に上がった。
仕事の都合で、この2次会から参加することになっている友人が一人いた。
同期なのに随分年を食っているので兄さんと呼ばれ、しまいにはジジイと呼ばれながらも、我々の保護者代わりとして公私に渡って愛を注いでくれていた人である(本人談)。
場が落ち着いて人心地ついた頃、その友人が登場した。
これがもう、昔から全然変わっていないのだ。
すでに2児の父となり、(友人間では)前人未踏の「不惑」に突入しているというのに、そのキャラはまったく変わらず、お約束の場所「お誕生席」につくなりマシンガントークの開始である。
それまで、お互いに全然変わらんねぇ、などと言いつつも、それは相対的なものなんじゃないのと、お互いに年をとっただけって結論に達しつつあったのに、彼の登場はそれを大きく覆すのだった。
彼の勢いにはまっていきながら現在過去未来と話題がめまぐるしく変わっていくうちに、いつしかその昔誰かの家に集まっては飲み騒いでいた頃の懐かしい雰囲気に身を包まれていた。よきパパ、よき家庭人の枠が取り払われそうなくらいに、いつでも「若気の至り」をやってしまえそうなくらいに、みんなの瞳はキラキラと輝いていた。
北京ダックを注文したら鬼のように怒る連中ではあるが、やっぱり持つべきものはよき友人たち、ということなんだろうなぁ。