みちのく二人旅

加瀬沼の白鳥

 駅から見ると政庁跡よりもう少し先にある加瀬沼に行ってみることにした。
 この沼は付近の田んぼの灌漑用水として古くから利用されていて、多賀城が現役だった当時は北の防備のためのお堀の役目も果たしていたそうだ。
 もちろん、そんなお堀だけならわざわざ歩いていかない。なにしろタクシーであらぬところに降ろされた痛手は精神的には癒されていたが、肉体的にはダメージが大きいのである。
 そのダメージをおしてテクテク歩いていくと、旧塩釜街道から転げ落ちるように下っていく小道があった。どうやらこの先に加瀬沼があるようである。
 さて、どうしてこの沼に来たのか。
 白鳥である。
 冬になると、白鳥がこの沼に渡ってくるのだという。
 無類の鳥好きであるうちの奥さんは、多賀城に行くのなら絶対絶対加瀬沼に行く!と、かねてから宣言していたのである。
 が。
 白鳥は冬の渡り鳥。
 はたして11月の上旬に白鳥はいるのか?
 いる。
 というなんの確証も持っていないのである。
 地水庵の蕎麦、笹かまぼこと続くここまでのパターンからすると、いない、という公算のほうが大きい。
 ここまで歩いてきて、転げ落ちるような坂道を下ってきて、これで白鳥がいなかったらあとはもう沼で泳ぐしかあるまい。
 緊張しながら小道を降り続けると、沼のほとりにたどり着いた。
 お、鴨はたくさんいるようだ。白鳥はいなくてもカモがいればまあいいか。
 グルリと沼の周囲の小道を進むと人工の堤があり、そこに家族づれが数組いた。お菓子などの餌に集まっているのか、カモたちがたくさん群れ集っている。あ、あそこの白い鳥は………。
 白鳥!!
 白鳥ではないか。
 
スワ〜〜〜ン!!
 7羽しかいなかったけれど、いやはや大きい大きい。オオハクチョウかなぁ。幼鳥も混じっているようだ。
 これは間近で見なければ!

 また、カモが多いのなんの。
 ポーカーや麻雀ならカモが多いに越したことはないが、本当のカモである。機関長キヨシさんがいたら、間違いなく
 「ネギ買ってこい!」
 と言うだろう。

 彼らに近寄ると一旦は岸から離れていくのだが、無害とわかると再び岸に近寄ってくる。お菓子でもばら撒こうものなら我先にと集まり、ずうずうしいヤツは上陸してまで餌をくれる人のまわりに集まるのだ。
 さすがに白鳥はそこまでなれなれしくはなかったが、餌をまくと岸まで寄ってくる。
 くぅ〜〜。惜しむらくは駅に預けた荷物の数々。
 中には各種お菓子もたくさん入っていたのである。この場でそのお菓子があれば鳥達のヒーローになれたことだろう。
 たくさんいるカモには何種類かいて、もっとも多いのがオナガガモ、くちばしが末広がりになっているのはハシビロガモ、顔が緑色のヤツはマガモかアイガモか。えーと白鳥よりも小さな白いヤツは………?
 あれ?
 アヒルだ!
 くちばしが黄色い北京ダックじゃないか(写真の右隅)。さっきからイヤにやかましかったのはこいつであった。たった1羽しかいないのにヤケにうるさい。
 アヒルの周りにはあきらかに交雑であるとわかるアヒルのような鴨も数羽いた。ということは顔が緑色のヤツはアイガモだろう。
 ここまで来てアヒルだ鴨だ、というのもおかしな話だが、趣味の道は余人にはわからない。

 後ろで会話していたご夫人方は近郊からいらっしゃっていたようで、話を聞くともなしに聞いていると、どうやら今年白鳥がやってきたのは最近であるらしい。よかったよかった。ツキが戻ってきたかな?

 沼といっても、端から端まで、一番長いところでは1キロほどもある大きな沼である。
 鳥が集まる岸から見渡せば、対岸の木々は色づき、水面を五色に彩っていた。
 鴨が集い、白鳥が羽を休ませている………。
 沼のほとりで、我々は妙に充足したひとときを過ごしていた。

 東北歴史博物館 

 幻の駅、国府多賀城駅に隣接して、東北歴史博物館がある。
 近代建築の美しい建物で、税金投入型施設はたいていそうであるように、ここもスペースたっぷりだ。

 博物館の総合展示室には、旧石器時代から現代までの東北地方の歴史がわかりやすく時代別に展示されていた。
 ここに入った目的はただ一つ。多賀城の復元模型の写真を撮りたかったのだ。
 館内はストロボ撮影は禁止だから、フィルム撮影だと至難のワザだったろう。そこはデジカメ、博物館内の暗い明かりだけでもそれなりに撮れてしまう。
 その写真で遊んだのが前ページの架空の復元写真である。あれを見て、え?こんなところあったの?と一人でも思ってくれれば、博物館に入った甲斐があったというものだ。ちなみに多賀城政庁跡の階段の先は、本来はこの写真のようにただ青い空である。

 とはいえ期待以上に展示物が面白く、400円でこれだけ見られれば安いものである。もっとキチンと時間をかけてまわって見たい博物館であった。

 なかでももっとも驚いたのは、古墳時代でも奥州藤原氏の時代でもなく、現代の展示だった。
 駄菓子屋と民家の一室を再現してあったのだが、その民家の一室が、どうにもこうにも妙に懐かしいのである。小細工も行き届いていて、テレビは当時のニュースを流してあったが、懐かしいのはテレビの内容じゃなく、居間の雰囲気なのだ。
 それもそのはず。
 昭和40年頃の民家を再現していたのだから。
 僕が生まれた年のたった2年前が、もう博物館に展示されているのである!
 なんだか妙なショックを受けてしまった。
 駄菓子屋のコーナーには、これまた懐かしいお菓子や看板の数々があった。
 10円20円を握りしめ、他愛のないお菓子を買って喜んでいたころを思い出す。
 「駄菓子屋か…何もかもみな懐かしい………」
 と急速に沖田艦長化してしまった。

 棚に置いてあった白元のハエ捕り紙、我が家ではいまだに現役である。