4・横浜に日本の将来を見た!

 ランドクルーザーは、山手を目指す。
 横浜港が栄えた要因の一つに、湧き水の潤沢さがあったという。
 遠洋航海の舶来の船にとっては、飲み水は命の水である。その補給をいともたやすくできるほどに、横浜港の後背地は湧き水の名所なのだそうな。
 その一つを見せてもらった。
 今でも近隣の人たちは何かに使用しているのだろう、現役の湧き水である。
 横浜といえば大都会としか思えない我々にとっては、意外な一面でもあった。

 横浜には大きな山はないけれど、小高い丘はいくつかあって、いわゆる山手もそういう丘の上である。しばらく坂道を登っていくと………

 そこは別世界だった。
 なんといえばいいのだろう、この感じ。
 神戸の異人館界隈にも似た(って、行ったことは1度しかないけど)雰囲気でありながら、そのわりにはもっともっと生活空間って感じも漂っている。
 でもその「生活」が、我々下々の民とは明らかに異なっているのだ。

 それはなにも、各国の領事館やらなにやらがあるからでも、外人住宅が多くて異国の少年少女たちがたくさんインターナショナルスクールから下校している姿を見たからでもない。日本の皆様方もみんな揃って、この空間だけ「別の国」になっているのだ。
 下で見た商店街とここに住む人々と、はたして接点はあるのだろうか??と思えるほどに。
 端的に平易な言葉で表すなら、これぞハイソな人々の暮らしぶりってところだろう。

 ツアーリーダーであるリーダーに聞いたところによると、この辺もだんだん外資系の重役連が住むようになってきているという。なるほど、一等地はそうやって次第次第に強者のものになっていくわけか……。

 有名なフェリス女学院を通ると、学園祭のようだった。
 なんでも知っている違いのわかる男によると、この学園祭に入るには招待状がいるらしい……。
 てゆーか、なんでそんなこと知ってんの??あなた……。

 その他、外人墓地やらなんやかやと見せてもらい、明日のメインイベント会場であるカトリック山手教会も見た。
 そう、かつてあのユーミンも式を挙げた超有名な教会である。
 この教会で式を挙げたい!!
 同じく浜っ子であるブク嬢の、乙女の頃からの憧れなのだ。酒量は増えても憧れは消えてはいなかったのである。

 そうしてひとしきり山手のハイソ空間を見て回った後、ランクルはやがて下界へと降りていった。
 それほど時間が経ったわけでもなく、移動したわけでもないというのに、あたりの景色はガラリと変わった。
 寿町だ。
 早い話、東京で言えば山谷、大阪で言うならあいりん地区のような、日雇い労働者たちが暮らす地区である。
 それほど広くはないけれど、そこは忽然とその空間になる。

 その昔、カメラバッグを抱えて熱帯魚屋さんを回っていた頃、どうしてもそこへ行くためには山谷を歩いて通らなければならないという店がひとつあった。その頃は自分もたいして変わらぬ格好をしていたせいか、それほどの脅威は感じなかったものの、今このとき、こんな高級車輌に乗ってこの界隈を通り過ぎるのは、ある意味かなりのプレッシャーだ。
 なんか、石でも飛んできてもおかしくない雰囲気……。
 まだ日も高いというのに、ワラワラゾロゾロ、たくさんの人たちが道を往来している。
 かなりディープそうな焼き鳥屋にはひかれるものがあるものの、さすがに降りたとうという気にはなれない。
 すると道の先に、この場にはそぐわない高級車輌に乗り込もうとしているスーツ姿のお人が見えた。
 どこからどう見てもそのスジの方である。
 逆立ちしても何も出てきそうもない人から、ケツの毛までむしりとっているのだろうか……。

 いやはやそれにしても。
 さっきの山手のハイソ空間からこの寿町なんて車でものの数分の距離でしかない。広域に見れば、同じ場所にあるといってもいいくらいの範囲なのだ。
 しかるにこの違い……。
 とても同じ国とは思えない。
 その違和感には、水納島とお台場を比べたときのような潔く明るい区別とは程遠いものがある。
 ハイソ空間には外資系のお偉方が次々に暮らすようになり、一方では溢れんばかりの人々でごった返す労働者空間……。
 なんだか、勝ち組負け組みで明確に分かれる貧富の格差の、かなり極端な姿を見たような思いである。というか、結局のところ小泉改革が日本の将来にもたらすものってのは、極端な話をすればようするにこういうことなんじゃないのかね……。

 ニートよ、フリーターよだなんて横文字でもてはやされているのは若いうちだけだ。金がすべてではないけれど、勉強だけが人生ではないけれど、若者たちよ、とにかく働け、勉強しろ……。