写真・文/植田正恵

38.アナログ情報化社会
月刊アクアネット2006年7月号

 パソコンや携帯電話の普及によって、情報の伝達速度がものすごくアップして久しい。
 水納島のような離島に居ながらにして、都会に住む人とさほど変わらず情報を得ることができるようになっている。

 ただし、それは受身ではなく、自らが情報を得ようとした場合だ。
 もしインターネットもやらず、テレビもつけず、携帯電話も持たずに島でのみ生活をしていたら、数年も経ずに間違いなく浦島太郎になれるだろう。

 実のところほとんどテレビを見ず、パソコンも活用できない私は、何年か前に、厚底の靴をはいたガングロ、ゴングロ系のコギャル(死語?)がたくさん水納島に上陸するのを見て、妖怪が大挙上陸してきたのかとかなり驚いた。

 また、真剣な顔をして海に向かって、携帯電話を差し出している人々を見て、理解不能だったこともある。

 サービス業を生業としているのにこれではいけないと最近思い直し、新聞の見出しだけは可能な限り目を通すことにしている。
 相変わらず芸能関係はまったくダメだけど…。

 ところで水納島に来て驚いたことのひとつに、情報の伝達速度の速さ、というのがある。

 例えば、今日道掃除をしよう、と午後1時にどこかで誰かが決めたとすると、2時にはみんな箒を手に道をはき始めているのだ。

 そんなとき、言い出しっぺの人からいったいどうやって皆に伝わるのか。
 少なくとも電話は使われてはいない。

 みんなどこで何をしているのか、たいてい把握しているから、そこまで行って、事の次第を伝えているのである。

 我が家は集落から少し離れている(100mくらい。でもみんなから「遠い」と言われる)ので、電話がかかってくることもあるけれど、ちょっとしたことでも、たいていみんな各家なり、人なりを訪ねて、用件を伝えることが多い。
 
  そういう原始アナログ方法なのに、なぜか文明の利器を使うよりも断然速くあっという間に話が伝わるから不思議だ。

 あるとき、だんなが桟橋で船から荷物を積み下ろしていたとき、バランスを崩して服のまま海に落ちてしまったことがあったのだけれど、数時間後には、「何で服のまま海を歩いたねー?イカでもいたか?」と、多くの人たちに茶化されたものだ。

 またある時は、夜間にハブがどこそこの家の近くに出たという話を、翌日まったく別々に5人の人から聞いたりすることもある。
 実は水納島には大昔の伝令管のようなものが埋設されているのじゃないだろうか、と本気で思ったほどだった。

 つまるところ、集落の規模が小さく、桟橋のように人が必ず通過するところもあるので人が出会いやすく、簡単にその情報は広がっていく、ということらしい。
 だから、うっかり普段と変わったことをすると格好のネタとなり、翌日はその話でもちきりということになる。

 おじいやおばあは携帯電話やパソコンを持っていなくても、身近な情報はものすごく速く手にいれることができるのだ。

 口伝えなので、時折尾ひれがついたり、メダカがクジラになったり、一泊留守にしただけのなのに本土に帰ったことになっていたりと、主観によって変化してしまうこともあるけれど、それはまぁご愛嬌である。