写真・文/植田正恵

44.闇と光
月刊アクアネット2007年1月号

 アラスカまでオーロラを見に行ったことがある。
 冬の現地の日の出は10時頃だった。目的がオーロラを見ることだから、夜が長いことは私にとってむしろ歓迎すべきことだったけれど、昼間のあまりの短さには本当に驚きを覚えたものだ。オーロラが当たり前の現地の人たちは、こんな長い夜をいったいどのように過ごしているのだろう…。

 オーロラを観察する場合に欠かせないのが暗闇だ。
 光量でいうなら微々たるものでしかないオーロラは、やはり地上に明かりがありすぎると観察しづらいのである。
 その点、夜の帳に長時間包まれる極北の地は、人口50人ということもあって村の明かりといってもたかが知れていて、オーロラも星星も夜空をにぎやかに彩ってくれていた。

 同じく人口50人である我が水納島も、夜の明かりといえばたかが知れている。いや、たかが知れている…というほどの明かりもない。
 初めて船で夜の海を越えて本島まで行き、再び島に引き返そうとしたときはかなり愕然とした。
 暗いのだ。
 瞬く灯台の光がなければ、小さな水納島などブラックホールの奥にある新宇宙よりも見つけづらいことだろう。近くまできて、水路の入り口の赤色灯が見えたときは、本当にホッとしたものだった。

 もちろん水納島にも電気が通っている。
 人口わずか50人とはいえ住民がいるわけだし、日が落ちれば寝る習慣があるわけでも、電気代をケチっているわけでもない。ただ、集落が防風林の内側にあるために外に光が漏れないのだ。

 聞くところによると、30年くらい前まで、電気は島内に設置された発電機でまかなっていたらしい。発電機の稼働時間には制限があったため、発電機係の人が酔っ払って停止するのを忘れない限り、夜中に電気はストップという状態だったという。島じゅうが暗闇だったことだろう。

 島内に宿泊した観光客の方は、よく「水納島は明かりが少ない」とおっしゃる。
 人によってはそれが「星がよく見えて素晴らしい」という評価であったり「あまりの怖さに出歩くことができない」というクレームであったりする。
 たしかに外灯がなかった頃の月のない夜は、懐中電灯がなければ私もハブとの遭遇が怖くて歩けなかった。

 ところが月が出ていれば、結構物がよく見えるのだ。満月の夜など、バレーボールくらいだったら軽くできるほどの明るさだ。
 そういえば、水納島にまだ発電機すらなかったころは満月の光で本を読んださぁと、あるおばあが言っていたっけ…。

 そんな満月の夜に桟橋まで散歩するのは、最高の贅沢だ。月明かりで見ると、いつも見慣れた風景でさえ、なんだかとってもロマンチックに見えてくる。
 そして人工の明かりがまったくない水納島の桟橋に立って、お隣の伊江島や本島の夜景を眺める。そこには街の華やかさがあるのだけれど、けっしてうらやましいとは感じない。

 いまや電気が使えなければ生活は成り立たないとはいえ、観光客のハブ対策としてさらに外灯が必要だという話もあるとはいえ、それでもやはり、月の明るさを感じることができる島の夜を、いつまでも大事にしていたい。