ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

12月10日(金)そして11日(土)

さらばワイキキ

 普段では考えられないが、朝5時15分に目が開いた。部屋の内側にある荷物を、眠りの浅い私を起こすことなく運んでいくなんて、さすがプロのポーターだ。

 と感心しかけたが、ドアのそばには昨晩のまま荷物が置かれていた。ハワイアンはやっぱりのんびりだった。結局彼らは5時半ごろやってきた。

 さすがにこれだけ朝が早いと、朝食を、というわけにもいかないから、いそいそと支度を済ませ、テレビ画面でチェックアウトをした。フロントで並ぶより部屋のテレビでチェックアウトしたほうがスムーズ、ということだったが、この時間ならフロントでもすいていたようだ。どっちにしても、なんにも利用していないからチャージはなにもかかっていない。部屋のキーを渡すだけでチェックアウトは無事済んだ。

 ハワイの朝6時は、まだ夜である。同時期の沖縄とほぼ同じくらいだろう。6時半着予定の送迎バスを待つ間、ずっとロビーにいた。フロアには朝早くから活動的な人々が大勢いて、思った以上ににぎわっていたから驚いた。

 やがてバスが来て、ホテルを去ることになった。見慣れた景色に別れを告げたかったが、あいにくまだまだ夜だった。

 バスの中で、あっという間だったねぇ、と父ちゃんが言っていた。あっという間に感じられる、ということはけっこう楽しんでもらえた、ということだろう。よかったよかった。

行きはよいよい帰りは長い?

 空港に着くまでの間に空はだんだん明るくなってきた。分厚い雲に覆われた空は、日が昇ってもどんよりと暗い。もう我々は帰るのだから、ハワイに雨が降ろうと風が吹こうと関係ないものの、飛行機が揺れることが容易に予想できる天候なので少し憂鬱になった。

 空港に着くと、すでに我々の荷物が並んでいた。チェックインの前に、係員立ち会いの下で荷物を開けてチェックしなければならない。チェックといってもおざなりなものだったが。

 我々の乗るノースウェスト9便は9時35分発だった。そうすると、6時間半ほど足すと16時、日本時間だと午前11時くらいか。あれ?たしか予定表では午後2時前ごろ着だったよなぁ。

 そうだった!!偏西風だ!いわゆるジェット気流に乗る行きは所要時間が短くなるけれど、逆に帰りはアゲインストの風のために時間が余計にかかるのだ。午後2時前着ってことは……9時間近くも飛行機に乗っていることになるんじゃないか!!

 行きの機内でのモロモロの出来事を思い出した私は、途端に憂鬱になった。無事乗り切れるか?

あのゲロ席に乗った人は……

 関空に向かううちの両親とは搭乗ゲート前で別れた。生まれて初めての親孝行のつもりであったが、きっと楽しんでもらえたと思う。今回我々は大阪には寄らないから、また来年、ということになりそうだ。

 残された我々は早めに着いているわけだから少し時間を持て余したので、ベンチに腰掛け本でも読んでいることにした。外を見るとどうやら雨が降っているようだ。離陸後しばらくは随分揺れるのだろうなぁ。

 そんなことを考えていたら、腹が減っていることに気がついた。この旅行中、ずっと食い続けていたせいで、空腹感を覚えたのは初めてである。こういう状態で数々のディナーを味わってみたかった。

 早すぎたので搭乗ゲート前には最初ほとんど人がいなかったが、徐々に増え始めた。フロアはほぼ禁煙なので父ちゃんは苦労していた。しかし他のアホな日本人は、置いてあるゴミ箱が灰皿に見えるのか、堂々とプカプカしている。そのゴミ箱のそばに高々と掲げられている「NO SMOKING」という文字が見えないのだろうか。それとも理解できないのだろうか。一人が吸っていると、一人また一人、とそこで吸い始める。端から見ていたら、こいつらは本当にアホである。

 その後彼らは、業を煮やした係の人にここで吸うな、と言われ、慌てて火を消していた。

 間もなく、航空会社が言うところの”使用機材”がやってきた。ゲートからは心ウキウキ状態の観光客が大勢降りてきた。我々も4日前はこうだったに違いない。

 その時気づいたのだが、よく考えたら今到着している便、というのは我々が乗ってきた10便である。つまりハワイ行き10便は客を降ろしてすぐに日本行き9便となるのだ。ということは4日前、ゲロがしみこんだあの席に間髪入れず座った哀れなお客さんがいた、ということである。もちろん機内清掃はしているだろうが、限られた時間でのその効果のほどは疑わしい。いやはや、知らぬこととはいえ、済まないことをしたねぇ。

大揺れ!!

 行きのように焦ることもなく、今回は余裕で機内に乗り込んだ。席は窓側からの3つだったから、隣に巨大な白人が座ることもない。やがて飛行機は離陸のための加速に入り、フワッと空に浮き上がった。

 飛行機に乗るときの何が嫌いって、この離陸時のGと離陸後しばらくの間の揺れほどイヤなものはない。じっと座っているだけで、いつも必ず脂汗タラタラになってしまうのだ。それを知っているうちの奥さんは、離陸が近づくといつも、

 「もうすぐ飛ぶよ〜」

 といって私をいじめるのであった。でも今回は言い返せる。また調子に乗ってゲロ吐くなよ。

 離陸後間もなく朝食の準備となるはずだった。しかし、飛行機は予想通り、というか予想をはるかに上回るほど揺れた。スチュワーデスたちも席に着かないといけないほどだったので、なかなかワゴンは巡回してこなかった。シートベルトのサインが消えたかと思ったらすぐつき、また消えたか、と思ったらすぐつく、という状態だったのだ。5分ほど気流の不安定なところを飛ぶので揺れます、といっていたのに、10分経っても20分経っても飛行機は揺れに揺れた。もう、揺れる、というよりも、飛行機が空気の固まりで殴りつけられているかのようだ。

 ここまで揺れてしまうと、いちいち怖い怖いと言ってもいられない。空腹感は募る一方なのに、揺れのせいで食事がこないのである。だんだん揺れを起こしている乱れた気流そのものに腹が立ってきたので、怒りをすべて大気にぶつけた。

 だからというわけではないが、やがて揺れが治まり、中断されていた機内食の頒布が始まった。我々の列に到達し、通路側の私の分がトレーの上に載せられて、次はうちの奥さん、父ちゃんの、というとき、また飛行機はにわかに揺れ始めた。あと一息で、というところでまたしてもスチュワーデスはカーゴを押して彼方へ去ってしまった。空腹のため今にも倒れそうな二人をしり目に、お先に失礼!と言ってムシャムシャとサンドウィッチをほおばった。

 そんなこんなで機内の全員に食事を配り終えるのに相当時間がかかっていた。そのドタバタのせいで気づかなかったのだが、窓側に座っている父ちゃんを見ると、なんといつの間にかビールを飲んでいるではないか!!行きの飛行機であれほどの目にあって、もう飛行機では飲むのはよそう、とか言っていたにもかかわらず、ニコニコと上機嫌でビールをグラスに注いでいるのである。ま、シアワセそうだからいいか。

日本

 9時間近くも乗っているとさすがに飽きるし疲れる。そういう意味ではゲームボーイのようなものを持ち込んで退屈凌ぎをするのもいいだろう。けれど、家族4人全員が、一列に座って黙々とゲームしている姿を見たときは、なんだか気持ちが悪くなった。わざわざ4つもゲームを持ってきているのである。彼らの子供たちは、ハワイでいったい何を感じて、何を楽しんできたのだろうか。その答えを聞くのは恐ろしい気がした。

 2度目の機内食からしばらく後、ようやく日本に近づいてきたようだ。それまでは遙か下方に敷き詰められてきた雲の絨毯がだんだん飛行機に近づいてきている。飛行機が高度を下げ始めているのだ。真っ白の絨毯に突入し、やがて雲海から突き出ると、日本の姿が見えてきた。高度数千メートルから眺める我が日本は、はかなく美しく懐かしい。山々は冬の装いだから、南国のような若々しいみずみずしさはないけれど、国土自体の風韻のようなものが、見ている私のDNAをくすぐるのだろう。

 九十九里浜を右手に見つつ、飛行機は成田を目指す。近づくに連れキクイムシのように山々を食い尽くす数々のゴルフ場が見えてくる。高度を下げるにつれて、先ほどの風韻はこのようなものにどんどん浸食され、最後には閉口せざるを得なくなった。日本とは間近で見ないほうがいい国なのかもしれない。ま、とにもかくにも帰ってきたのだ。それに伴い、時計は19時間早められ、日本時間に戻った。今日は11日土曜日だ。

 機体がゆがむほどに揺れた飛行機ではあったが、無事タッチダウンした。機外に出るとき、ほんの少し外気にさらされたが、思いのほか気温のギャップを感じなかった。覚悟していたほどには寒くない。

 すでにベテラントラベラーになった父ちゃんは、颯爽と入国審査を通過した。行きとは全然様子が違う。荷物も問題なく出てきて、税関を通り、ようやく「日本」に帰り着いたのだ。

 宅急便で荷物を送って身軽になり、行きと同様スカイライナーで日暮里、そして池袋まで。成田到着が予定より少々早かったので、ラッシュに遭いたくない我々としてはラッキーである。人混みに紛れたら、父ちゃんが大事そうにかかえている手荷物がグシャッとなったかもしれない。マカデミアナッツチョコ十箱(!)が。

 我々二人はフィルムを現像に出さないといけなかったので、父ちゃんとはいったん池袋で別れた。いきなり日本モードに突入するうえに土曜ということもあって、池袋の喧噪はやりきれなかった。が、それ以上に街の汚いこと汚いこと。そこら中に散らばる吸い殻、チラシ、得体の知れない汁、生ゴミ……。美しい観光都市ワイキキから帰ってきた我々の目には、池袋はゴミための街にしか見えなかった。こんなところで呼吸をすると、五臓六腑すべてが腐ってしまいそうである。

 ボーナス支給日直後、ということもあって、ビックカメラは黒山の人だかりだった。こういうところにいる人たちはこういう状況がきっと日常なんだろうけれど、あえていわせてもらうならやっぱり異常だ。

ラーメン

 小腹がすいていることに気づき、ラーメン屋に入った。長谷川ラーメンという、わりと知られたところである。ツウはしょうゆラーメンを頼むらしいが、私はラーメンといえばチャーシュー麺である。迷わず頼んだら、

 「チャーシューきらしてるんですよ〜」だって。

 昼飯時を過ぎたこういう中途半端な時間は、チャーシューは品切れになっている、という重大な鉄則を忘れていた。

 仕方ないのでワンタン麺にした。沖縄ではうまいラーメンなんてなかなか食えないから、ちゃんとしたラーメン屋でちゃんとしたラーメンを食ったのは随分久しぶりだ。しみじみうまかった。しかしこれで820円は高すぎる!!沖縄そばが800円もしたら暴動が起きるぞ。

 用を済ませ、池袋駅に向かった。もう人混みにいたくはなかった。今晩は素うどん、と決めていたから特別に買うものもないし。でも、せっかくだから、これまで我々の主旨に合わせてほとんど和食を絶っていた父ちゃんに「日本食」を食べさせてあげよう、ということになり、西武百貨店の食料品街に向かった。実をいうと自分たちが食べたかっただけ、という話もあるが。

 お菓子売場はえらい人混みだったが、生鮮食料品店街は思ったよりすいていた。久しぶりに見る刺身たちはどれもみな、「うまいよ〜、おいしいよぉ〜」とささやいている。ものによっては十メートル先から大声で呼びかけてくるヤツもいた。どれもこれも全部食ってしまいたい!!という衝動に駆られかけたけれど、それを実行する財力がなかったので、暴挙に出ることはなかった。

旅の終わり?

 飯能行きの急行もさほど混んではいなかった。車窓からの眺めは日本の冬景色そのものだ。冬に枯れる木々を有史以来眺め続けた民族と、年中緑にあふれた地域の人々とでは、人生観なり、思想なりが根本的に異なっているのはやはり当然だろう。沖縄の人たちやハワイの人々には、O.ヘンリの「最後の一葉」は書けないのだ。書く必要もない。

 元加治駅で降りると、またしても例の事実に襲われた。気温が東京より少なくとも3度は低かったのだ。

 うちの奥さんの実家に着くと、先に帰っていた父ちゃんはすっかりもとのペースに戻っていた。老犬ムサシの散歩に行って来るという。久しぶりに親友に会ったムサシ君は、あたり構わずヨロコビを全身でアピールしていた。

 散歩から帰ってきた父ちゃんは久しぶりにちゃんとした湯船につかり、身も心もすっかりくつろげた様子で、

 「やっぱり風呂は自分とこがいいやなぁ」

 と満足そうだった。すでにそのころには食卓には純和風の皿が並んでいた。素うどんと聞いていた父ちゃんは、予期せぬごちそうを前にさらにご満悦であった。ちなみにうちの奥さんは、ここ4,5日の解放状態から、また元に戻って自分でご飯の準備をしなければならなくなってしまった。

 念のため大阪のうちの実家に電話すると、両親は無事に帰っていて、すでに夕食も済ませたようだった。我々同様、食い過ぎた日々を後悔してかどうか、その晩のおかずはメザシだけやった、と父は楽しそうに言っていた。

 こうして、実現不可能と思われたハワイ還暦祝い招待旅行は無事終了した。明日からはみな元通りの日々が始まるのだ。

 しかし、我々の旅はまだ続いている。

12月12日(日)〜14日(月)へ