ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

12月15日(水)

クーポン券を無駄にするな5

 京急高輪ホテルから品川駅まで歩いて2分ほどだから、朝はゆっくり過ごせた。京急が羽田空港につながってとっても便利になったのだ。

 この宿泊にも朝食クーポンがついていたので、当然利用した。”ディス・イズ・日本のホテルの飯!”というべきショボさだった。我々ももっと旅慣れたら、クーポン券にこだわる、ということもなくなるだろう。

 トーストを食いながら通りを眺めると、駅に向かう人、駅から来る人の流れが絶え間なく続いている。我々がのんきに遊んでいる間も、学生たちは学校に通い、サラリーマンは通勤し続けているのだ。そういえば我々のテーブルの周囲もビジネスマンばかりで、日経新聞を読みながら慌ただしくパンを食っている人たちが多い。我々が別世界、と決め込んで決別した風景がそこらじゅうにあふれていた。

目に毒

 まったく一本道なので、ホテルを出たあと、迷うことなく品川駅に着いた。切符売り場の近くで年末ジャンボ宝くじを売っていた。今日水納島に帰ったら、宝くじを買うチャンスがなくなる。毎度毎度のことながら、当たると信じて6000円分買ってしまった。これで2週間は夢を膨らませていられる。が、これを書いているのは年明けなので、なんだか虚しい。

 品川駅から羽田空港まで20分ほどで着いた。
 まったく問題なく搭乗ゲートまで来ると、またしても修学旅行と同じ便であることがわかった。女子校なのか、男子の姿は見えない。女だけだと騒音のキーがあがるので、よけいに耳障りになる。

 冬だというのにみんなスカートの短いこと短いこと。私が中学、高校生だったころは、学生服といえば丈の長いのがカッコイイとされていたのに、こうも百八十度変わるものかといつものことながらつくづく感心する。

 なかには、あなたがが着たらだめでしょう、と誰もが指摘したくなるに違いないミニスカート姿の娘もいた。その娘と親しそうにしゃべっている娘が何人もいたが、彼女たちは友達ではないのか。友達だったら真実を告げてやる優しさも持ち合わさないといけない。

志の輔は最高!

 今回も早めにチェックインしていたので、二階席である。そのため修学旅行生たちの喧噪は行きと同様まったく気にならなかった。そして支障なく飛行機は滑走路に入り、無事離陸した。

 昼飯時に飛ぶ便のくせに、機内食は出ない。経費削減とやらで、航空会社はもともとカスみたいなサンドウィッチすらケチるようになってしまったのだ。機内食が出ないとなると寝ていようと思ったのだが、昨晩ぐっすり寝たせいかなかなか寝付けない。仕方なく私は機内放送を聞くためにヘッドホンをつけた。

 実は私は何を隠そう落語のファンで、機内で何か聞くとなると必ず落語である。特に好きな噺家の場合はなおさらだ。今月は誰なのだろう、と思って翼の王国をパラパラめくってみると、なんとなんと立川志の輔ではないか。
 これはぐずぐずしている場合ではない。
 あわててチャンネルを合わせて意識を集中させたら、ああ、なんという神のいたずら、いきなりオチの部分であった。

 ま、落語はオチがわかっていようと楽しめるものである。そうじゃなければ古典落語なんて成立しない。機内放送は飛行中繰り返されるので、しばらく待っていると、頭から聞くことができた。

 親の顔、という志の輔自身の作による新作落語だったが、いやあ、枕から滅茶苦茶おもしろかった。笑いすぎて悶絶してしまい、眠っていたうちの奥さんににらまれたほどだ。さすがに談志の弟子である。ためしてガッテンや知恵モンで司会だけしている男ではなかったのだ。珍しく機内アナウンスによる中断もなく、オチまでまっしぐらに突き進んだ。おもしろいよぉ。こういうのは一人で聞いていたらもったいないから、機内じゅうに流れたらいいのに、って思ったけど聞きたくない自由も尊重しなければならない。

沖縄消失!?

 やがて飛行機は沖縄に近づいてきた。見下ろすと一面雲に覆われている。天気予報では雨のち曇りということだったから、覆っている雲も薄っぺらいものではないのだろう。

 しばらく後、飛行機は雲海に入った。この雲たるやすさまじく、ガタガタガタガタ揺れながらも飛行機は随分下降しているはずなのだが、いっこうに雲を抜け出さない。アナウンスが間もなく着陸します、と伝えてからかなり経っているというのに。いったい高さがどれくらいある雲だったのだろう。まるで首都消失の白雲かというくらい分厚い雲だった。

 ようやくチラ、チラと海面が見えるようになった時には、高度は相当下がっていたらしく、荒れている海面の波や揺れている小舟ががはっきり見えた。こんなに高度が下がっていたら、普通は目の前くらいに滑走路があるはずなのに、また飛行機は雲海に入り、しばらく真っ白な空間を漂った。

 何度も雲海を出たり入ったりしている間、実はこの飛行機は迷走しているのではないか、という疑念すらわき上がるくらいだったが、脂汗を300ccほどかいた頃、ようやくモニターに滑走路が見えてきた。

 揺れていたにもかかわらず、全日空のパイロットはノースウェストとの細やかさの違いを見せ、着陸は見事なスムーズさであった。

家路

 空港を出ると、強風が吹いていた。体感温度は東京とほとんど変わらない。海も荒れている。きっと一緒に乗ってきた修学旅行生たちが頭に描いていた沖縄ではないだろう(この大荒れはこのあと3,4日続いた。滅茶苦茶寒い日々だった)。しかし人のことを心配している場合ではない。はたしてみんな丸は運行しているのだろうか。

 それほど時間に余裕があるわけではないので、タクシーの運ちゃんに「急いで琉大の北口に!」と言った。すると運ちゃんは、

 「どの道から行きます?」と訊いてくるではないか。

 だいたい、空港から降りてきた人間を乗せて、どの道で行きます?と訊くタクシーがあるだろうか。しかし沖縄のタクシーはたいがいこうである。
 これを悪意でとらえてはいけない。彼らは自分が選択した道でもし間に合わなかった場合、大変申し訳ない、ということになるから、自分で選ぶのが怖いのだ。だから我々が助け船を出さないといけない。

 結局選択された道は高速道路だった。今は政府のアメとムチのアメのおかげで、那覇インターチェンジから西原入り口までだと300円で済むのだ。空港からインターチェンジに入るまでのほうが時間がかかったくらいではあったが、予定よりも随分早く琉大に着いた。

 あとは停めてある我がカローラバンのバッテリーが上がっていないことを祈るのみだ。先日バッテリーが上がったので新しいのに交換したばっかりだったが、その原因がバッテリーの寿命ではなく電気系統にあるのだったら、2週間もの放置はやや危ない。祈るような気持ちでキーを回すと、

 ブルルルルルブルン!!

 快調にエンジンがかかった。やれやれだ。

 午後2時過ぎだった。圧倒的に余裕になった。水納海運の事務所に電話して確認したところ今日は予定どおり運行しているという。あとは本部で買い物を済ますだけである。

 2時間後に水納海運の事務所に着くと、2週間ぶりに島の人たちに会った。船員さんたちからはリンゴありがとうね、とお礼を言われた。

 そうなのだ。我々とすれ違いに、お客さんのSさんからとっても上等なリンゴが届いたのだ。そのSさんが、出先の携帯にその旨を知らせてくれたのだが時すでに遅し。我々は海運事務所に連絡し、開けてみんなで食べてくれ、と言ってあったのである。そのほか事務所にはクロワッサンあての大きな荷物が2,3あった。どれも我々が出て間もなくに着いていたようで、食べ物ではなさそうだから、長い間狭い事務所に置いていてくれたのだ。

日常へ

 みんなから内地は寒かったか、と訊かれたが、今日などは東京とほとんど変わらない。それを言ったらみんな笑っていた。2週間ぶりではあるが、そんな話をしているうちにもう我々は日常に帰っている。日常といえば、島に着くなりオサムさんから、学習発表会でやる三線の曲目を知らされた。ちなみに学習発表会は6日後である。

 桟橋に到着すると、我がミスクロワッサンが変わらず浮いている姿が見えた。もちろん無事でなかったら事務所の時点で教えてくれたはずだが、とにかく懸念第一号は解消された。

 なんだかんだとたくさんになった荷物を軽トラに載せ、我が家へたどり着いた。留守中にヒヨコが生まれたらしく、エサやりを頼んでいた島の人がヒヨコ用に小屋に随分手を加えていてくれていた。そのおかげで3羽のヒヨコが親のそばを元気にヨチヨチと歩いていた。懸念第2号の解消である。

 家の中はさすがにヤモリの糞があちこちに目立ったものの、致命的な雨漏りはなかったようで、懸念第3号も解消。そのあとうちの奥さんは気になって仕方なかった畑に向かったが、大根もブロッコリーも人参も白菜もレタスもいろいろな菜っ葉もみな無事だった。唯一キャベツが青虫によってかなり食われまくっていたという被害があったが、おおむね大丈夫である。最後の懸念も消え去った。

 こうして、ようやく我々の2週間に及ぶ旅行は終了した。もうほとんど水納島モードになっている。あのハワイの日々は蜃気楼のように彼方にかすんでいた。

ありがとう!

 このままかすむにまかせて放っておけば、これまでの他の旅行同様、旅行中の喜怒哀楽様々なものが、一様にオブラートに包まれたおぼろげなものになってしまうだろう。
 だったら新鮮なうちに形にして残しておこう。
 そう思い至り、帰宅後まもなくこれを書き始めた次第である。実際の旅行とほぼ同じくらいの時間を費やして、ようやく最終日までやってきた。何度か読み返してみたが、最初からこれを書くつもりでいれば、もっとたくさん写真を撮ってページを飾れたのになぁ、ということが悔やまれる。

 いずれにしても、この稚拙な旅行記に貴重な時間をお使いいただきありがとうございました。ひょっとすると、所を変え品を変えた第2段があるかもしれませんが、遠い遠い先のことになるでしょう。

おわり

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