7・出雲大社・2

 松並木が終わるあたりにある手水舎にて作法どおり手と口を浄め、鳥居をくぐる。

 まず最初に我々参拝客を迎えてくれるのが、拝殿だ。

 そこいらにある神社の場合、拝殿はものすごく立派でも、ご神体が祀られている本殿はとってもとっても慎ましいサイズの祠、ということがよくある。

 だから深く考えずにいると、拝殿を本殿と勘違いしながらお参りしてしまうこともある。

 でも出雲大社は本殿がそもそも超ド級の立派な建造物だから、こちらの拝殿はわざわざ本殿に配慮し、鳥居から続く中心線から一歩脇にずれて建てられている。

 さすが祟り封印装置、拝殿ですら本殿に遠慮しなければならないのだ(※個人の見解です)。

 本殿に遠慮している拝殿にも、大きな注連縄がかけられている。

 注連縄はそもそも神域と外界を隔てるためのものではあるけれど、お正月の家庭においては、外界から病気だ災厄だといった得体のしれないものが侵入しないための結界の役目も果たしているもの。

 出雲地方の注連縄は、一般的な注連縄とは綯い始めの左右が逆になっていることで知られている。

 その理由はいろいろ語られているのだけれど、実のところとてつもない規模の祟りを封印するための装置としては、とんでもないモノが外に飛び出てしまわないようにするため、内側に向けた意味もあるのではなかろうか……。

 となれば、サイズが巨大化するのももっとも。

 ところで、後刻宿の女将さんからうかがったところによると、正門からキチンとお参りに来られた方の中には、この拝殿の注連縄をご覧になって、

 「なんだ、でっかいでっかいって聞いてたけど、大注連縄ってのもたいしたことねぇなぁ…」

 という感想を抱いたままお帰りになる方もいらっしゃるのだとか。

 拝殿の注連縄も相当大きいけれど、これどころじゃない超巨大注連縄は神楽殿にあるので、くれぐれも誤解なきよう…。

 ご存知のとおり、出雲の神々を参拝する場合は、二礼四拍手一礼の出雲大社バージョンが作法だ。

 この四拍手、舞い上がった状態で緊張のあまり手を打ってしまうと、

 「〜♪早寝〜、早起き、朝ごは〜ん!!」

 の手拍子になってしまうので気を付けなければならない(え?ワタシだけですか??)

 最初は不慣れな四拍手も、摂社だ末社だ八足門だなんだかんだと、お参りするべきところが各所にあるので、やがて慣れてくる。

 というか、お賽銭入れなきゃならない場所が多すぎ。

 あ、ウソです冗談です大国主神様。

 ところで、この拝殿でお参りを済ませ、ふと天井裏を見てみると、梁にズラリと鋭い針が並んでいた。

 藤枝梅安の武器庫か?

 いやいや、これは、ハト避けと思われる。

 そのままだったらハトのかっこうのねぐらになってしまい、フン害たるや大変なことになるのだろう。

 ウサギには優しい大国主神も、ハトには厳しいらしい…。

 この拝殿の背後に本殿が鎮座している。

 そもそも神社の本殿といえば、余人が立ち入れない結界の内側にあるものではあるけれど、出雲大社はなまじ巨大であるがゆえに、その結界がまるで京都御所の内裏のようですらある。

 …なんてことをヘタに言おうものなら、なんでも一番!と思っている京都人たちは間髪入れず反論するだろうけど無視無視。

 でまた本殿その他構造物が……

 でかい。

 こんな小さな写真じゃ、とてもじゃないけど実際に生で見ている雰囲気の欠片も再現できない。
 とにかくその大きな姿は、一種異様な雰囲気すら漂わせている。

 そりゃ奈良にも京都にも、でっかい寺社仏閣はいくらでもある。
 けれどなんというか、極端にいえば、8年前にシチリアからローマに移動して初めて目の当たりにしたローマ時代の巨大遺跡のような、まったく異なる異世界文明を見る思いですらある。

 さすが祟り封印装置、とにかくでかい。

 でかい。

 でかい。

 でかいでかいとウワサには聞いていたけれど、聞きしに勝るとはこのことだ。 

 いつもは巨大さを強調する対人比に欠かせないオタマサながら、ここでヒトを画面に入れると、必要以上に建造物が矮小化してしまうような気がするのはなぜだろう?

 このでかさ、この場でナマで見なければ、けっして味わえない。

 旅の目的は「出雲大社がでっかそうだから」といったオタマサ、ひょっとするとお手柄かも?

 ともかくもファーストインプレッションで圧倒されつつ、まずは本殿正面の八足門にて再び拝礼。

 京都御所に例えるなら、建礼門にあたる場所だ。

 一般の参拝客はこれ以上中には踏み込めないはずなのに、どういうわけだか添乗員に引率されたツアー客ご一行が、扉が開けられた勝手口(?)からゾロゾロと内側に入り、内側にある楼門手前で参拝していった。

 特別コースなんだろうか?

 と不思議に思っていたところ、こういうポスターを発見。

 ホントに、旅行会社がセッティングしているスペシャルツアーだった…。 

 水力発電所でダムの見学ツアーはあっても、原子力発電所で炉心付近の見学ツアーなんてあるはずがないのと同じ理由で、祟り封印装置の中へ中へと入っていくのはヤバそうなんですけど(※個人の見解です)。

 さてさて、出雲大社の本殿においては、その周囲を反時計回りに巡るのが作法なのだとか。

 ちなみに本殿その他構造物は、上から見るとこういう具合になっている。


境内に掲げられていった看板より

 今いるところは印の八足門前で、一般参拝客はこの内側には入れず、本殿その他構造物を囲う結界の外側を巡ることになる。

 作法どおり本殿に向かって右方向にテケテケと歩きはじめると、早くもオタマサの足を止めるものが。

 彼女の目を引いたのは……これ。

 神社ではお馴染みの、奉納された酒樽の数々がズラリと勢揃いしている。

 菊正宗や大関といった大手の名も混じってはいるけれど、そのほとんどは出雲地方の地酒だ。

 もちろん島根ワインも、しっかりラインナップされていた。

 さらに先を行くと、本殿構造物群の両脇を固めるような位置に、なにやら三十三間堂を小さくしたような、横に長い建物がある。

 十九社と呼ばれる建物で、毎年旧暦10月に全国からお集まりになる八百万の神々たちの宿泊場所なのだとか。

 7日間続くという神様の会議(神議り)開催中、神々はずっとここに宿泊しているそうなんだけど、なんですか、出雲の神在月ってのは、神様たちの合宿なんですかね?

 というか、東西それぞれの十九社には扉が十九ずつあって、神々の合宿中はすべての扉が開かれた状態になっている、というのはわかるにしても、八百万もの神様の出入りが東西合わせてたった38ヵ所で足りるのだろうか??

 あ、常ならぬ存在をこの世の尺度で測ってはいけませぬか…。

 そのまま、結界構造物越しに本殿の威容を眺めつつ歩を進めていると、やがて本殿の裏側になる。

 本殿のちょうど真裏あたりに鎮座ましましているのが、こちら。

 素鵞社(そがのやしろ)。

 大国主神の父ちゃんであり、葦原の中つ国を統べる出雲神の祖でもあり、高天の原の暴れん坊でもある、素戔嗚尊(須佐之男命)を祀っている社だ。

 出雲の国で、オオクニヌシに勝るとも劣らぬ存在感を誇るスサノオノミコトを祀っている社の名が「ソガ」。

 素鵞社のソガは須賀(スガ)が転訛したものだそうだから、「蘇我」とは一見かかわりが無さそうながら、蘇我も宗我と書くケースもあったとなると、まんざら無関係でもなさそう。

 ……なんていう興味とはまったく関係なく、実はこの素鵞社は出雲大社きってのパワースポットとして、近年つとに有名になっているそうな。

 今風の「パワースポット」としての出雲大社にはまったく興味が無い我々ながら、ひっそり佇むその姿が美しかったのでひとめぐりしてみた。

 すると、縁の下というんでしょうか、とにかく雨が当たらない床下部分に、このようなものが。

 モルタル色をした砂がてんこ盛りになった木箱が、縁の下にいくつも並んでいる。

 はて、外気に接しているのだから湿気取りのはずはなし、祠の周囲の装飾用でも、補修用資材でもなさそう。

 子供が遊んだ後の砂場のようにも見えるこの砂、いったいなんなのだろう?

 ?マークを頭の上に浮かべつつ、社の背後に回ると、そこは切り立った岩盤がギリギリまで迫っていた。

 よく観ると、岩肌のそこかしこにお賽銭が置かれてある。

 立地といい佇まいといい、いわくありげなこの岩盤、後刻宿の女将さんに伺ったところによると、ここはまた由緒正しいパワースポットだそうだ。

 我々と同年配くらいの女将さんが子供の頃から、この岩を撫でると頭が良くなる、なんて言われていたそうである。

 「ナデナデし続けましたけど、効果なかったですけどね♪」

 とは、女将さん個人の感想です。

 そんなパワースポット話が近年全国津々浦々に広がって、昔は地元の方々くらいしか立ち寄らなかった素鵞社は、今や押しも押されもしない観光スポットになっているという。

 ちなみに女将さんには、縁の下の砂についてもその秘密を教えていただいた。

 これまたパワースポットならではの話は、またのちほど…。

 素鵞社は、本殿の真裏↓に相対している。

 実は、出雲大社の祭神である大国主神は、この本殿の一番奥側、矢印のあたりに鎮座ましましているという。

 すなわち真裏のこの場所が、ご祭神に最も近い場所ということになる。

 究極の祟り封印装置に封印されているご祭神である。その力、半端ではないに違いない。

 〜♪かごめ、かごめ…で知られる童謡には実は深い意味が隠されており、「後ろの正面」とはすなわち素戔嗚尊のことである、なんて話があるのも、この位置関係に由来しているようだ(ちなみに鶴と亀も出雲大社に関係があったりする)。

 そう思うと、なにやらアヤシイ妖気すら漂っているような気がしてくる。

 しかし。

 メルヘン神話をウリにして観光地として生きていくことにした現代の出雲大社は、ご祭神に最も近い場所に、こういうオブジェをあつらえているのだった。

 大恩ある大国主神を、そっと見上げるウサギさん。

 そりゃたしかに、因幡の白兎ですものね。

 でもこれじゃあ、漂うのは妖気じゃなくて幼気になるような……。

 境内にはこのほか、そこらじゅうに可愛いウサギさんが佇んでいる。

 神社誕生のヒミツや神話に秘められた本当の歴史がどうのこうのというよりは、神話の聖地とパワースポット押しで行くしかない現代の出雲大社としては、「カワイイ♪」がマストアイテムであることは言うを俟たない。

 となれば、今さら祟り封印装置なんて言われても、風評被害以外のナニモノでもないか……。

 さらに歩を進め、西側の回廊に回ってみる。

 やはりどこから観てもでかい。

 ここに至って、オタマサは重大なことに気がついた。

 「阿部寛だったら、もっと本殿の下まで見えるんだろうねぇ…」

 そうなのだ。

 阿部寛とはいかずとも、オタマサより頭一つ分くらい上背があるワタシに比べれば、同じところを歩いているオタマサの視野に収まっている本殿その他建造物は、もっと上方部分に限られているのだ。

 肩車でもしてやれば阿部寛級の視野を確保できたろうけれど、さすがにそーゆーことをしていいような雰囲気の場所ではない。

 この日、翌日とひたすら見上げ続けていたオタマサの結論は、

 「出雲大社は首が痛くなる」

 〜♪ワタシャ も少し 背が欲しい……

 境内に掲げられている案内板によると、本殿はこういうご様子らしい。

 ところで本殿最奥に鎮座ましますご祭神大国主神は本殿真裏が最接近位置ではあっても、その神坐は、なぜだか西側を向いているという。

 つまり、西側から拝礼してこそ、ご祭神に正対した状態になるというわけだ。

 ご丁寧にもその位置にまで、賽銭箱と拝礼用の祠が……。

 西の十九社を眺めつつ回廊を歩き切り、再び八足門前に戻ってきた。

 すると、先ほどはスルーしてしまったとある印に気がついた。

 この赤い円がなんであるか、おわかりですね?

 そう、これは、衝撃度トロイの遺跡級(※個人の感想です)の、三本束の巨大柱の発掘現場の印。

 発掘時のこの場所はこういう状態だったそうな。


境内の説明板より

 この場に実際に高さ48メートルの楼閣状本殿が建っていたのだなぁ…。

 発掘された巨大木柱は、境内にある宝物殿かどこかで展示されているそうながら、宝物殿の傍ら、それも屋外で、実物サイズのレプリカがかなり無造作に展示されていた。

 いやこれは……

 たしかに異常なまでに太いわ、こりゃ。

 巨大柱の発掘というエビデンス無しにいきなりこんなものを見せられても、誰も真面目な話として受け取らなかったのも無理はない。

 巨大といえば、こちらもやっぱりでかかった。

 ご存知神楽殿の大注連縄@重さ4トン超。

 神楽殿は、結婚式場やその他、神社につきものの商売用各種セレモニーを行うための建造物で、出雲大社境内の西側からこちらに抜けられるようになっている。

 大注連縄は、その神楽殿のエントランス部分にかけられてある。 

 神楽殿は思いっきり近代建築で、柱の根元などは噴水状になっていた。

 この大注連縄の前の広いスペースに、オベリスクのように空に向かって聳え立つポールが建っている。

 オベリスクラブなオタマサとしては黙ってはいられない。

 ところでこれ、何のポール?

 あ、ウワサに聞く巨大日の丸を掲げるためのものか!

 でも日の丸、どこにも見当たらないんだけど……。

 ひょっとして前日の建国記念日に頑張りすぎて、この日はクリーニングに出されているんだろうか。

 それにしてもバカ高いポールだわ……と思ったら、その高さは約47メートルもあるという。

 その高さは、鎌倉時代の遷宮で建造された本殿の高さとほぼ同じ。

 往時のご本殿を見上げていたら、オタマサの首はもげてしまったかもしれない……。