●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

250回.高齢化社会に思う

月刊アクアネット2024年3月号

 昨年師走、実に5年ぶりに埼玉の実家に帰省した。

 コロナ禍のために、すっかりブランクが空いてしまったのだった。だからといってホイホイと気軽に沖縄から埼玉まで行き来するゼータクができる身ではないんだけど、実家で暮らしている弟夫婦から、最近寄る年波で父がめっきり弱っているという頼りがあっては、そう吞気に構えてもいられない。

 5年ぶりに会ってみると、父の「寄る年波」度合いは覚悟していたほどではなかった。足腰が弱り活動範囲が狭くなっているというわりには、杖を使って近所を歩き回り、自治会の仕事を精力的にこなし、ご近所さんともフツーに立ち話をしていたほどだ。

 食が細くなったというので心配していたところ、それは単なる夏バテだったらしく、冬になるとすっかり食欲は元通りになってもいた。

 その反面人生の大半に渡って維持管理し続けてきた河川敷のグランド(地域の共有物)が、市の要請で元の河原に戻さねばならなくなり、整備し続けていた河川敷はすっかり藪に戻ってしまった。

 練習場所が近隣に無いためにわざわざ東京から少年野球チームが定期的に利用しに来るなど本来のグランドとしての役割のほか、春には桜の花見ができ、夏にはヒマワリが咲き誇り、地域の皆さんの散歩コースとしても多くの人々に利用されていた河川敷の整備。

 そんなやりがいのある仕事(もちろんボランティア)を失い、生活に張り合いがなくなっているようにも見えた。

 気力減退は老化促進の最たる要素でもある。今は一見介護の必要など無さそうに見えても、傘寿はとっくに過ぎ、米寿も射程圏内に入っていることを思えば、ほんの数年後でさえ楽観はできない。

ゲストの顔触れが変わらない当店もまた、高齢化問題を抱えている。ちょいとお酒が入ると足元がおぼつかなくなり、お帰りの際にデッキ上から庭に降りるステップを踏み外し、プチハーブ園に死のダイブを敢行される方が続出しているのだ。このままではホントにオオゴトになってしまいそうなので、老朽化したステップを作り変えるに際し、ステップに手すりを設けることにした。これでようやくハーブ園が壊滅する危機は去った…。

 沖縄のおじいおばあはいつでも元気、というイメージがあるかもしれない。

 たしかに目に映る高齢者はたいていお元気だし、健康年齢はとても高いように思える。けれどどんなにご長寿でも肉体的な衰えは避けることができないから、つい最近まで畑仕事に精を出していた高齢者が、いつの間にか家にこもるようになることもある。

 見えないところでは、お元気ではない高齢者も多いのだ。

 本島ではこういう場合、行政サービスとして訪問ケアというシステムが本来あるようながら、たとえ介護保険料は同額でも、小さな島では本島とは比べ物にならないくらい機能していない。

 それに気づいた役場がかつてほんの一時期、職員が島のお年寄りの家を訪問するということを続けていたこともあったけれど、「やってます感」のための気安めでしかなかった。

 少なくとも水納島の場合、都会ではともすれば過干渉とされるほどの島民同士のおつきあいのほうが、よほど高度な「介護ケア」のような気がする…。

 超がつく高齢化社会は、年金問題だけではなく、ちゃんとじっくり考えたらかなりシビアな社会問題であるはずなのに、その一方では「人生100年時代」などと気楽に語られてもいる。

 実情は老後の不安がいたずらに長くなるだけで、ウィズ老々介護で古希を過ぎても働き続けねばならない社会…だなんて、何かがおかしい。

 高齢化社会が抱える様々な問題に鑑みれば、誰もが百まで生きる時代よりも、むしろ70歳が「古来稀」だった時代のほうが、より多くの方が明るく楽しく人生を謳歌していたんじゃなかろうか。

 すでにだんなの両親はともに他界しており、私は弟夫婦に任せっきりだから、これまでずっと縁遠いままだった介護問題。今回久しぶりに帰省できたおかげで、今さらながら自分にとってもリアルな話になってきたのだった。