●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

267回.海までの距離

月刊アクアネット2025年8月号

 子供の頃はとても楽しみにしていた夏休み。近くの草むらを巡っては虫を追い求め、家から徒歩5分ほどのところを流れている入間川に入り浸っては川遊びし放題、という幸せな時間を1か月以上に渡って満喫できるのだから、生き物や自然が大好きだった私にとって、何物にも代えがたい贅沢な日々だった。

 そんな夏休みのスペシャルイベントが、親戚のいる千葉県への遠征だ。なんといっても千葉県には「海」がある!海水浴はそこそこに、磯の生物ゲットにどれほど興奮したことか。

 千葉の親戚の家から磯遊びができる浜まで、徒歩で10分ほど。でも子供連れで大荷物を担いでいくのは大変だから、たいていは車で送り迎えをしてもらっていた。

 さらに遠出をすれば遠浅の海水浴場もあったけれど、「海水浴場」といえば海の家があって監視員がいて、そしてかなりの人出がある。ヒトは多くとも生き物のバラエティが少ない砂浜しかない海水浴場は、私が求める「海」ではなかったから、どちらに行きたいか、と親戚に聞かれたら、私は毎回「近くの浜!」と答えていたものだった。

 安全面だけを考えれば、海水浴場の方が大人たちは安心だったろうけれど、あいにく子どもは安全のために海に行くわけではない。

 海までの距離ということでは、水納島はパーフェクトといっていい。海水浴場は連絡船が到着する桟橋の目の前にあり、島内の民宿からでも徒歩で数分のところにある。水中メガネをつけて海の中を覗くだけで、色とりどりの魚やヒトデやナマコなどの不思議的生き物たちに出会える海が、そんな近いところにあるのだ。

海水浴場までの近さもさることながら、長く続く白い砂浜も、潮が引けば出現する干潟も、アダンの木陰を抜けると現れる箱庭のような小さな砂浜も、干潮時にはタイドプールがたくさんできる岩場の海岸も、すべて民宿から徒歩10分前後でたどり着く自然環境。たった数日だけ過ごす千葉の海が宝石箱だった子供の頃の私がこんなところに来ようものなら、もう二度と社会復帰は望めなかったことだろう(今実際そうなっているともいう…)。

 家族連れで来ていても、お疲れ気味の父さんは宿の部屋でちょっと昼寝をしていられるし、ダイビングのゲストでも、両親がかわりばんこでダイビングすることができ、子どもたちもボートで出発するお母さんを見送ってから海で遊ぶことができる。

 留守番をするお父さんは、お母さんが1時間ほどダイビングをしている間海水浴場で子どもと一緒に遊んで、お母さんがボートで戻ってくるのが見えたら、桟橋でお迎えすることだってできる。

 ダイビング終了後、海水浴場まで家族サービスに直行するお父さんお母さんはちょっとお疲れモードの時もあるけれど、親も子もともにそれぞれ楽しめる時間を過ごせるのは、なんといっても小さな島ならではの利点だ。

 夏休みともなると日中は大勢の日帰り客で海水浴場はごった返すとはいえ、朝イチ便の連絡船が着く前と最終便が出た後の砂浜は、日中の賑わいがウソのように、ほぼほぼ貸切状態で堪能できる。

 水納島に宿泊されるリピーターさんたちのなかには、それを見越して日中はクーラーの効いている宿の部屋でお昼寝、と決め込んでいる人も多い。

 小さな島だから海水浴場以外の海岸もどこであれ徒歩圏内で、干潮時にタイドプールがいくつもできる海岸では様々な生き物が観られるし、シオマネキがウジャウジャいる干潟だってあるから、私のような生き物好きの子供だったら、まず間違いなくパラダイスと感じることだろう。

 今夏鳴り物入りでオープンしたジャングリア沖縄のような、誰かがテーマを決めたパークじゃなきゃダメという子供には、何もないつまんない島、となってしまうのかもしれないけれど、コンパクトに凝縮されたありのままの自然を楽しめる水納島が、島を訪れる子供たちにとって、私の記憶の中の宝石箱でもある千葉の海のような、忘れがたいひとときになってくれれば…と願わずにはいられない。