●海と島の雑貨屋さん●

写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2026年2月号
年末年始の連絡船は、大晦日から4日連続で欠航となった。
すなわちお正月三が日すべて、本島で暮らす島の家族親類縁者は誰一人として来島できず、島民は一歩も島から出ることがかなわなかった。
となると、お正月ならではの子どもたちの声も無く、島内を歩く人の行き来も無く、三が日は島全体が恐ろしいほどの静寂に包まれた。
港の大改修工事ももちろん正月休みで、聴こえてくるのは吹きすさぶ風の音と波の音だけ。おまけに雨模様のぐずついた天気で、なんとも過疎高齢化の限界集落らしいうら寂しい正月になったのだった。
冬の間は観光客がほとんどいない水納島のこと、欠航中の正月ではなくとも、島民十数人の生活が奏でる音といったら、草刈り機やトラクターのエンジン音くらいのもので、港の工事の音さえなかったらいたって静かなものだ。
旧我が家と違って現我が家は一応「住宅地」にありはするものの、今では隣近所がご不在だから、ますます人の気配がない。
ほんの少し前ならお隣のおばあがお元気で、今掃除機をかけているな、お客様が来ているのだな、とか大相撲中継で盛り上がっているな、といったことが音で分かったものだった。なにぶんご高齢でいらしたので、むしろそういった音が聞こえなくなると、心配になってそっとお家を覗いてみたり…。
ことほどさように、そういった暮らしの音というのは、聞こえない方がむしろ不安というか寂しいというか、著しく違和感を覚えるものだ。
その昔、台風で我が家が被災したために現我が家に引っ越してきた際、当時飼っていた写真のチャボも一緒に引っ越してきた。オスのチャボだから、夜明け前からのコケコッコーは近所迷惑かな…と危惧していたところ、うちのすぐそばに住まいがある船員さんの第一声は、「いいねえ、昔懐かしい!」だったので胸を撫で下ろしたものだった。我々より上世代の方々にとっては、普段の暮らしに朝の鶏鳴など当たり前だったのだ。ちなみに後年そのチャボが亡くなったあと、その船員さんは「チャボ飼わないの?」と催促してくるほどだったから、よっぽどお気に召していたと思われる。これまた都会ではありえないご近所付き合いということなのだろう。
とはいえ、それまで無かった音が聞こえてくるとなると、話は別かもしれない。台風で旧我が家が被災したために越してきた現我が家は前述のとおり住宅地だけに、我々が越してきたことによって、テレビの音声が漏れ聞こえたりインコたちがギャーギャー騒いだりと、それまでは無かった新しい生活音を周囲に放つようになっていたのは間違いない。
ところが隣近所のおばあたちは、「にぎやかになってよかった」と言ってくださる方たちばかりなのだった。そういえば旧我が家で暮らしていた頃には、「(住宅地から離れていて」寂しくないの?」と、おばあたちから本気で心配されたことがあったっけ。
本部町は田舎だから、本島に行っても集落の奥の方から鶏の声が聞こえてくることがよくある。
長年付き合いのある町内の鉄工所でも工場内で長らく鶏を飼っておられたのだけれど、町内某島に畑を手に入れたのを機に、そこに鶏舎を建てて鶏を移すことにしたらしい。ところがご近所から「鶏の声がうるさい」と苦情が出るにおよび、鶏舎を本島内の別の畑に移し替えたのだという。
沖縄の田舎の、それも離島でそれはあり得な…かったのも今は昔。その某島には近年本土からの移住者がやたらと増えて、一部では島の暮らしがすっかり別のものになっているというジジツに思い至った。
かつて都内で先生をしていたゲストから、運動会の練習の音がうるさい、と本気で学校に苦情を言い立てる近隣住民がいるという話を伺って驚いたことがあったけど、オキナワも少しずつ、そのような「都会化」が進んでいるということなのだろうか。
水納島に越してきたころは、夜中の風浪の音はたいそう不気味だったかわりに、今は亡きおじいたちが弾いていた三線の音が聴こえてくる夕べなど、「これぞ沖縄!」と大喜びしていたものだった。
ひょっとすると沖縄でも今や、場所によっては三線の音すらクレーム案件になっているのかもしれない…。