●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

274回.思い出は壁の向こうに

月刊アクアネット2026年3月号

 この冬帰省した折に少し足を延ばし、母校がある川越を探訪してみた。卒業以来40年ぶりに母校を見てみるのも一興と思ったのだ。

 通学していた頃には観光とはほとんど無縁だった川越も、いつの間にか小江戸をウリにした一大観光地になっている…

 …と聞いてはいたものの、ホームに降りてビックリ。駅を含めた周辺はすっかり様変わりしていて、私はいきなり浦島太郎化してしまった。

 再開発された駅前には広い道路とロータリーがあり、きっとその際に移転したか閉店してしまったからだろう、懐かしのお店は跡形も無くなっていた。

 当時は無かった西口改札もできており、そちらのほうが母校に近いのだけど、かつての通学路をたどってみたい思いもあって、東口から出て母校を目指した。

 すると、母校に近づくにつれ脳内の海馬がくすぐられる景色になってきて、あれやこれやの懐かしい思い出がだんだん甦ってきた。

 そして正門へと続く百メートルほどの桜並木が、記憶と変わらぬたたずまいだったことにホッとした。

 今のご時世のこと、無関係者がおいそれと校内に入れないのは承知していたけれど、せっかくだから学校の周りを歩き、せめてフェンス越しにでも往時を懐かしがらせてもらおう…と一周し始めてまたびっくり。

 外周がところどころ住宅に遮られているのは昔のままながら、外周のほとんどが高さ2m以上の壁で囲われていたのだ。

 女子高だけに、盗撮などの被害を防ぐための措置に違いない。そうでもしなければならない世の中になっているということ自体が、なんとも悲しいというか残念というか…。

場所によっては「ここは府中の刑務所ですか?」という勢いで有刺鉄線付きの壁が張り巡らされている母校の周囲。たしかこのあたりに50mプールがあったはずだから、警戒はより厳重になっているのだろう。プール中央エリアの深いところは私の身長より深く、そこで立つと私は全水没するために途中でギブアップしても溺れるだけなので、なんとか頑張って端まで泳ぎ切るしかなかった…という苦い思い出も、壁のせいでプールを眺めながら懐かしむことはできなかった。生徒たちを変質者から守るためということを考えればこのフェンスは必要不可欠であることは理解できるにせよ、学校外を完全にシャットアウトしている様子はいささか残念ではある。とはいえ卒業生としては、グランドが草ぼうぼうになっている休校中の学校に比べれば、たとえ壁に囲われていようとも学校が現役であるというだけでありがたい…と思い直したのだった。

 結局40年ぶりの母校探訪は、校門前の桜並木ぐらいしか懐かしむことができないまま終わってしまったのだった。

 残念ながら水納小中学校は、現在長期休校中という扱いになっている。5年前に中学生が1人卒業したのを最後に児童生徒は絶えてしまっているのだ。

 本来の行政手続き的には、休校して3年が経過すると自動的に廃校になるという話なのだけど、水納島に大規模リゾートホテルができる計画が持ち上がり、そうなると従業員の子弟など学校の必要性が出てくるであろうということが配慮され、休校のまま維持されているようだ。

 校舎屋上が津波時の避難所になっているのと、地域の防災備蓄倉庫が校庭の片隅に設置されているために敷地内の出入りに制限はないので、涼しい季節になると島内でジョギングをする私は、校庭もコースに入れさせてもらっていたりする。

 休校とはいっても、むしろ川越の母校よりもはるかに地域住民に開かれた学校(?)ではある。

 ジョギングや散歩の際に校庭から校舎や体育館を眺めると、かつて地域住民として参加させてもらった様々な学校行事が懐かしく思い出される。

 とはいえそれらは私にとってすべて大人になってからのことだから、それが心象風景や大切な心の奥の宝物というほどではない。

 その点、島を離れて生活している水納小中学校の卒業生たちはどうなのだろう。

 現在ギリギリ形は保たれているとはいえ完全無欠の休校状態で、不定期に草刈りされてはいても草ぼうぼうのトラックなどを目にすれば、フェンスで囲われた母校を見るのと同じくらい、がっかりすることになるのだろうか。

 その復活のためには今のところリゾート開発しか手はないとなれば、たとえ復活したところで別のがっかりに見舞われてしまうのかもしれないけれど…。