本編・13

願いは雲の彼方に…

 ゆんたくしつつ、ときおりウィスキーと、持参したシェラフマットを手にして外に出ては、寝転んで夜空を仰ぎつつちびりちびりとやってみた。
 雲は相変わらず厚い。
 オーロラを待ちながらそのまま外で寝てしまえば間違いなく凍死する。それはわかっちゃいるけれど、うちの奥さんの場合はいつ本気で寝てしまうかわからないところが恐ろしい……。

 ロッジにいる面々もそのうち話し疲れ、めいめいが楽な姿勢でくつろぎ、ときには居眠りしたりするようになった。
 もちろん、外でも中でも飲んでいるうちの奥さんは、すっかりご機嫌な酔い心地になっていた。ふと気づくと、テーブルでコップを揺らしていた彼女は、夢に描いた旅先の土地で、本当に夢の世界へトリップしていた。

 昨日はこうして待機していたら晴れ間が出てきたそうだが、今宵の雲はその期待ができないほどの分厚さであるらしかった。ときおり雲の向こうで緑白色に輝いているがオーロラであるらしい。なんだか、夜に船の上から見る、狩猟中の船員さんたちの水中ライトの明かりのようだった。
 この雲がなかったら……
 みんなで恨めしそうに雲を見上げた。

 もうこれ以上待っていても晴れ間は出ないだろう…。
 長い長い移動をようやく終えた我々は、すでに眠くて眠くてしょうがなかったのでひと足先に部屋に戻ることにした。午前2時30分ごろのことだった。

 明日発つというタケウチ夫妻とは今宵限りなわけだから、旅の思い出にと、うちのカメラに写ってもらうようお願いした。みんなで記念撮影だ。
 ロッジにあるドール・シープのトロフィーの前でパチリ。
 では、一足先に……
 すると、コービィさんが、
 「せっかくだから外でも撮りましょうよ」
 と発案。玄関前に集合することにした。
 こういう場合、日本人は参加者すべてのカメラで撮ることになるのだが、我々も同様だった。三脚を立てて、それぞれのデジカメで撮ってははずし、撮ってははずしを繰り返し、そろそろ最後のカメラを………

 そのとき!!

 それまで厚い厚い雲に覆われていたはずの天頂部分が、いつの間にかうっすらと星が見えるほどの晴れ間に変わっていた。そしてそこには、月明かりのように明るいオーロラが、まるでワープホールに入った宇宙船を包む光のように(見たことないけど)、激しく激しく動き始めていた。

 ブレイクアップである。

 このオーロラ用語、最初はよくわからなかった。ようするに静と動に分けられるオーロラのなかでも、まるで生き物のように激しく動いて分裂、収束をする様をそう呼ぶらしい。今眼前で繰り広げられているこれこそがそのブレイクアップなのであった。

 のんびりスナップショットモードから急遽撮影モードに切り替わったタケウチさんは、レンズを真上に向けつつ遮二無二シャッターボタンを押していた。
 もちろん、我々はただただ唖然として空を見上げるばかり。

 これが、これがオーロラだ!!

 ややうす曇りの向こう側ではあったけど、食後にチラッと見ることができたオーロラとは比べ物にならない圧倒的な光の演舞。
 これがオーロラであるなら、先ほどのはコロラだ!
 そんなわけのわからないオヤジギャグを思いついたのは、もちろん眠りについたベッドの中だった。

 旅の満足度はさらにワンランク上昇していた。

一期一会のかくもはかなき……

 その夜のゆんたくタイムでいろいろ話を伺って、アラスカがいろいろ見えてきていた。
 これまでの道中でもけっこう感じていたとおり、どうやらアラスカは沖縄っぽいのである。
 ホテルにピックアップに来てもらえなかったりその連絡がなかったことなど、沖縄だと思えばまったくなんてことはない。
 また、トランスO氏に手配を頼んでいたベテルスロッジでの宿泊の可否の返事がなかなか来なかったのも、予約申し込みを受けたロッジ側がなかなか返事をしてこなかっただけのようだ。
 飛行機は、1時間かかることもあれば3時間かかることもあり、午前と午後の2便がある日もあれば午後だけということもある。我々の場合と同じく、午前といっていたのに午後になることもある。
 とにかく、そんな細かいことにまったく捉われていないのである。

 傑作だったのは消防車の話だった。
 散歩で行ける距離のところにベテルスの消防署があるんだけれど、2年ほど前に、ベテルスで3年ぶりくらいの火事があったらしい。すわ一大事、消防車緊急発進!!
 ……と思ったら、消防車のエンジンがかからなかったんだと。

 次はエンジンがかかっても水が出ないんじゃないですかねぇ、と言って我々は笑った。

 また、まだ我々が到着する前のことである。
 ロッジにかかってきた電話は、やや旅慣れているような日本の年配の女性からだったという。
 ピートが出たのはいいが、何を言っているのかわからないので、傍らにいたタケウチさんが代わってくれとたのまれたそうだ。
 宿泊客に問い合わせの応対を頼むのも笑わせてくれるが、その電話の女性の話もなかなか面白かった。
 なんでも、フェアバンクスからチェナ温泉に行って2泊し、押さえとしてベテルスにも1泊してから翌日昼間にフェアバンクス発の飛行機で帰る予定を立てているらしい。すでにフェアバンクスまでの往復チケットは手に入れているので、その予定に合わせて行動したいのだが……という。

 もうお気づきの通り、そのような細かい分刻みの日程で来るところではないのである、ここは。
 それを説明しようにも、雰囲気を知らない相手にそれを伝えるのは至難の技だろう。
 「ベテルスからフェアバンクスまでの飛行機は、何時に出て何分で到着するのでしょうか」
 「はぁ、1時間くらいの時もありますし、3時間くらいのときもありますし……」
 「午前中にベテルスを発ちたいんですけど、何時に出るんですか、飛行機は」
 「9時30分に出ることもありますし、午前といっていて午後になることも……あのぉ、そういったご予定では、こちらにはいらっしゃらないほうがいいかもしれませんよ」
 先方にとっては、なんとやる気のない宿と思ったかもしれない。まさか電話で応対しているのがその日まで2泊しているだけの客とは思わないよなぁ。

 僕にはこれまで、沖縄は暖かくて食い物もあって、とにかく冬でも寒さで死ぬことなどないからこそ、人々はのんびり気楽になっていくのだ、という持論があったのだが、このアラスカののんびりさはどうだろう。 
 死と隣り合わせの厳寒の世界に生きながら、なぜにここまでのんびりできるのか。一週間に満たない我々の滞在期間でその答えの手がかりを見つけることができるだろうか。

 そんなこんなで、午前9時30分ごろを予定していたタケウチさんが乗る飛行機は、どうせ10時半くらいになるだろうとみんなタカをくくっていた。下手したら午後になるんじゃない?とか言って。

 4時過ぎに眠りについた我々が、移動の疲れをドドーッと吐き出すような爆睡から目覚めたのは、午前10時過ぎだった。
 朝食をいただくべくロッジに行った時には、もうタケウチ夫妻の姿はどこにもなかった。
 「予定通り発たれましたよ」
 ヒサさんが笑って教えてくれた。こういうときこそ遅れてくれればいいのに、こういうときに限って万事予定通りになってしまうようである。

朝の雷鳥

 今日は昨夜の空のままどんより曇っていた。晴れていてさえ午前10時過ぎが朝焼け状態なのに、それが曇っていると、部屋にいれば朝なのか夜なのかすらわからない。これ、一応寝坊の言い訳。

 すっかり寝過ごしてしまった我々は、曇り空の下、ロッジに向かう小道をとぼとぼ歩いていた。
 そのとき、傍らをパタパタパタ…と駆け抜ける生き物が。

 雷鳥だ!!

 雷鳥である。言うまでもなく日本では天然記念物の鳥だ。それが、こんなところに……。
 よく見ると、そいつのほかにあと5、6羽たむろしていた。我々の出現に、おろおろおろおろしているようだった。どうやら朝のお食事タイムを邪魔してしまったらしい。
 オロオロ雷鳥は、木々の間を抜け、燃料施設との境になっているフェンスのところで静止した。
 記念にパチリ。

 ロッジのシアワセの一つに、朝食の時間がある。
 オーロラを観察していると、どうしても寝るのは朝方になってしまう。
 一度見てしまうと、もう一度、もう一目、となるので、なかなか部屋に戻るきっかけがつかめないのだ。その点、時間が来ると帰らされるホテルのツアーとは違う。
 で、寝るのが4時5時だから起きるのは頑張っても10時過ぎになる。普段、何があっても日の出とともに目覚めるうちの奥さんは、日の出自体が遅いこの地ではついに午前10時以前に目覚めることはなかった。

 そうやってゲストによって起きる時間がまちまちになるにもかかわらず、朝食は午前中であればいつ行っても作ってくれるのである。たとえ食いっぱぐれたとしても、ちゃんとお昼を出してくれる。
 飯の時間を逃したらひもじくなるかも、という心配は杞憂に終わった。

 ちなみに今朝の朝食は、マフィン、ベーコン、スクランブルエッグ、オレンジ、そして手作りジャムだった。
 秋ともなれば木の実の宝庫となるここアラスカでは、きっとその中で泳げるほどに大量にジャムを作るのだろう。
 ソフトドリンクは飲み放題なので、迷わずオレンジジュースを。

 朝食が充実すると、その日はなにかとてつもない一日が待っているような気がしてくる。
 オーロラはもう昨日で味わったし………。今日はいったい何があるのだろう。