本編・31

エピローグ・最後のアンバー

 いつも旅行から帰ってくるとそうなのだが、余韻をしみじみと味わおうと思っても、渡久地港に着いた途端にそこからもう日常が始まる。港に到着する水納丸のロープをとるために岸壁で待っていると、機関長キヨシさんが開口一番、
 「オーロラは見れたか?」
 といった。我々は帰ってきたのだ。

 2日後、我々が落ち着いたのを見計らったかのように、キヨシさんが獲れたての肴を持って飲みにきた。旅行中、まったく日本食への渇望感はなかったものの、やはり久しぶりに食べる刺身はうまい。魂が震える人生の味だ。
 彼には燻製などのおきまりのお土産を渡してあったが、この場でさらにとっておきの土産を出した。
 アラスカンアンバーである。
 フェアバンクスでの最後の夜に買った6本のビール、実は3本飲み残していて、そのままバッグに入れて持って帰ってきたのだった。
 長きに渡って過ごしてきた我々の琥珀の時間は、ついにこの日、最後の一本をそれぞれ飲み終え、幕を閉じた。
 我々の感慨など知るはずもないキヨシさんは、かつての遠洋漁業の船員時代にカナダ沖でしこたま飲んだビールに似ている、といって美味そうに飲んでいた。

 アオリイカの刺身を食べながら、土産話に花を咲かせつつ、極北でのつかの間のひとときを思い返してみる。

 アラスカはやっぱり寒かった。
 オーロラはいつも空に輝いていた。
 そしてそれ以上に、人々は誰も彼もが生命に溢れて輝いていた。

 今回の旅行はオーロラがそもそもの目的だった。たしかにオーロラは素晴らしい。死ぬ前に一度は見ておいたほうがいい、と人に勧めようと思う。
 けれど、また再びアラスカを訪れることができるとしたら……。
 そのときは、オーロラではなく、人々に会うために行くような気がする。
 なんだか沖縄に似ているあのアラスカの人々に。

 それは当初、思ってもみないことだった。
 なんでこんなに寒いところでこんなにのんきにのんびり楽しく暮らせるのだろうか。
 それはあくまでも内実を知らない者が見た印象でしかないかもしれない。
 けれど他者が見てそう見えるってことが素晴らしい。
 穏やかな夕景や恵みの大地がなせるワザかとも思いはしたが、もっと可視範囲にその素がある気がする。
 ひょっとすると、
 そこに人がいる
 という当たり前のことを、本当にちゃんとわかっているかどうか、ということだけなのかもしれない。
 人がいる。僕のそばにも、あそこにも。
 たったこれだけのことを日々キチンと感じるだけで、もしかしたら、誰でものんびり気楽に楽しく過ごせるようになるのかもしれない。

 目の前で機関長が酒を飲んでいた。
 たしかに僕たちは、これからものんびり楽しく暮らしていけそうだ。