58・サン・ピエトロ広場

 ついに来てしまったヴァチカン市国。
 別に僕はカトリックの総本山にはそれほど興味はなかったのだが、

 「世界最小の独立国には是非行ってみたい!」

 などとうちの奥さんが目をキラキラさせて言う。
 なるほど、そういうモノの考え方もある。

 ところで、なんでここがカトリックの総本山の場所になったのか。
 この地は、もともとはカリグラ帝の私的な戦車競技場だった。
 現在のサン・ピエトロ広場から大聖堂の後陣にまでおよぶ、大きな競技場だったそうな。

 その短い治世の間にいろいろなことをしたカリグラ帝は、2代皇帝ティベリウスの跡を若くして継いだ皇帝で、その次の次が、暴君ってことで有名なネロ帝になる(我が子ネロを帝位に就けようと画策した母、小アグリッピーナと、その母である大アグリッピーナの話は、それだけで「江」など学芸会に思えるほどの大河ドラマになりそうなほど面白い。でまた、いかにも気の強そうなきれいな女性だから映画向きかも)

 最近では「暴君」だけではなく、善政もあったと見直され始めているネロだけど、そもそもなんで「暴君」という烙印を押されるようになったのか。
 ほかでもない、当時弱小新興教団だったキリスト教徒に放火の罪を着せ、何百人もの教徒を処刑したからだ。

 2百人とも3百人ともいわれる殉教者を出したその処刑の地こそが、ここヴァチカンにあったカリグラの競技場だったのである。

 当時の多神教から見れば、ユダヤ教、キリスト教のように他の信仰を一切認めない一神教信仰というものが、かなり歪に映っていたに違いない。

 一種の不気味さを有するからといって、そのことだけで処刑してしまうというのは、たしかに行き過ぎた悪行だったかもしれない。
 けれどその後のキリスト教社会の有様を見れば、他宗教や異端者に対して、キリスト教を迫害したネロやディオクレティアヌスと同じようなことを彼らがやっているのは紛れもない。

 ともかくそんなわけで、多くの殉教者を出した、という意味でこの戦車競技場がカトリックの聖地になり、そこに後年、殉教者の一人聖ペテロ(ピエトロ)の名を冠したとてつもなく立派な大聖堂ができたのだった。

 その戦車競技場跡地に今、我々はいる。
 サン・ピエトロ広場と名づけられた、広大な広場には30万人もの人々を収容することができるらしい。
 聖ペテロが処刑された場所には、カリグラ帝がアウグストゥスを真似て、競技場エクステリア用にエジプトから運んできたオベリスクが建てられている。

 そのオベリスクを中心にして、周囲に美しい楕円を描きながら並ぶ数々の柱。
 この広場もまた、ベルニーニの作品なのだとか。
 この際作者はどうでもいいんだけど、この広場にはベルニーニの面白いアイディアがある。

 広場に適当に立って周囲を眺めると、回廊に4列並び立つ柱で外側が見えない。

 ところが、広場にあるこの印。

 ここの立って眺めてみると、あ〜ら不思議!


父ちゃん、それは違うマークってば。

 4列のはずの柱が1本に見えて、外が見える!!
 うーむ、やるなベルニーニ………。

 …って今さら感心してどうする。
 でもとにかくそんなわけで、敬虔なカトリックではなくとも、ある種のテーマパークと思えばそれはそれで楽しめるサン・ピエトロ広場&大聖堂なのである。

 せっかくなので、柱廊も歩いてみた。

 外側には普通にお店など人々の暮らしがあるのが面白い。

 この柱廊を歩いてそのまま大聖堂に行けるのかと思ったらそうではなかった。
 いったん広場に出てから、ヴァチカン入国のセキュリティチェック。

 そこでハタと気がついた。
 ひょっとして、パスポート必要なの??
 だって入国するんだし???

 ホテルの部屋のセキュリティボックスにすべて入れてあったので、今ここでそんなものが必要だといわれたらどうすればいいのだ!?

 などとオタオタしているうちに、セキュリティチェック通過。
 パスポートなどいるわけなかったのだった。

 ローマ教皇がテラスにお出ましの際なんかには、この広場は大勢の人で埋め尽くされるという。
 その数は、お正月の皇居一般参賀の比ではない。
 だから誰の目にも教皇の姿が目に映るよう、広場には大型スクリーンが設置されている。

 ん?
 よく観ると……

 おお、パナソニック!!
 頑張っているじゃないか、ナショナル。

 パレルモの街中で見たデジカメのショーウィンドウには、日本製のものよりも圧倒的にサムソンのほうが多かった。
 こういうところにも日本の衰退が出ているのか……と少し寂しくなっていた僕だったのだが、まさかカトリックの総本山に設置されているスクリーンがパナソニック製だったとは。

 なんて、本筋とは関係のないことで盛り上がっている我々を、高みから冷たく見下ろす視線がイタイ。

 そして観光客不可侵の通路には、警護の方の姿が。

 スイスガード!!
 その昔、独立間もない15世紀頃のスイスにはこれといった産業がなかったこともあって、当時唯一各国に評価されていた「強い兵隊」を売り物にするしかなかった。
 以後長い間、スイスの傭兵たちはヨーロッパ中の戦場を駆け巡る。

 現在ヴァチカンの警備を担うスイスガードは、往時教皇に雇われた傭兵たちの名残りで、スイス自体は20世紀初頭に傭兵の輸出(?)を止めたものの、ヴァチカンだけは例外として認められているそうな。

 つまり彼らはみなスイス人なのである。
 それも、スイス陸軍で経験を積んだカトリック教徒、という条件つきの。

 テロリストすら近代兵器を装備する今、その槍でいったい何に立ち向かうのだ、という気がしなくもないものの、彼らは近代兵器の訓練はもちろんのこと、ちゃんと剣や長斧の訓練も受けているのだとか。

 …というスイス傭兵たちの歴史もさることながら。
 僕は長年のナゾが解けたヨロコビに浸っていた。

 カリブ海の魚に、スイスガード・バスレットと呼ばれる、ヤミスズキの親戚のような魚がいる。
 以前熱帯魚雑誌の編集に携わっていた僕は、もちろんその魚の存在を知ってはいた。
 が、特に深く考えるでもなく、「スイスガード」という名前は「スイスガー」にEDがついた過去分詞形なのだとばかり思っていた。「スイスガー」って何?って訊かれたら困るけど。

 ところが、まさかその名の由来がスイス警護兵にあったなんて!!

 まだ寒いのでスイスガードたちはコートを着ているけれど、その下の典雅な制服、そのストライプ模様とそっくり。
 いやはや、まさかかつてナゾだった海水魚の名の由来を、ヴァチカンで初めて知ることになろうとは……。

 人生、どこに答えが転がっているかわからないものですね。

 そんな感動などとはまったく関係なく、ドドンと聳える大聖堂のファサード。

 さあ、大聖堂の中へ!